[おくやみ]星野仙一 氏(プロ野球選手、監督)70歳 2018年1月4日逝去

[お偲び] 星野仙一 氏(プロ野球選手、監督)

星野仙一(ほしの・せんいち)氏
生誕: 1947年1月22日
命日: 2018年1月4日 5時25分
年齢: 70歳
出身: 岡山県
肩書: プロ野球選手、監督
葬儀: 2018年1月6日
備考:葬儀は近親者で施行。
倉敷商高、明大を経て1969年、ドラフト1位で中日に入団。当初の背番号は22だったが、入団3年目にエースナンバーの20に変更。闘志むき出しの投球で「燃える男」と呼ばれた。巨人戦では長嶋茂雄、王貞治らと名勝負を繰り広げて35勝(31敗)を挙げ「巨人キラー」の異名を取った。74年には先発、救援にフル回転して中日の20年ぶりリーグ優勝に貢献。巨人の10連覇を阻み、15勝9敗10セーブの成績を挙げ沢村賞と最多セーブに輝いた。82年までの14年間で、通算146勝121敗34セーブ、防御率3.60の成績を残し、現役を引退した。86年オフ、中日の監督に就任すると、抑えの牛島和彦投手ら4人を放出し、ロッテから三冠王3度の落合博満内野手を獲得するトレードを敢行。中日では87~91年、96~2001年と2期11年指揮を執り、88、99年にリーグ優勝を果たした。中日を退団したばかりの01年オフ、野村克也監督の後任として阪神へ。金本知憲外野手を獲得するなど積極的な補強を進め、就任2年目の03年、チーム18年ぶりの優勝をもたらした。ダイエーとの日本シリーズには3勝4敗で敗れ退任。08年の北京五輪では、アジア地区予選から日本代表監督を務めたが、メダルなしの4位だった。翌年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督は、次期候補と有力視されながら辞退した。11年から楽天を率いた。楽天監督1年目の開幕前、11年3月11日に東日本大震災が発生し、球団が本拠を置く宮城県が甚大な被害を受けた。「強さを被災者に届けよう」とナインを鼓舞し、3年目の13年は24勝無敗の田中将大投手らを擁して創設9年目の球団を初優勝に導いた。巨人との日本シリーズも制して、自身としても選手、監督を通じて初の日本一に輝いた。三原脩、西本幸雄と並び、3球団でリーグ優勝を成し遂げた監督となった。3球団で監督を計17年務め、通算成績は1181勝1043敗53分け。戦後生まれでは初の1000勝監督となった。14年限りで監督を退き、15年からは楽天球団の副会長を務め、新人選手の獲得などに尽力した。03、13年には正力松太郎賞を受賞。17年に野球殿堂入りした。
お別れ会:
2018年3月19日
グランドプリンスホテル新高輪
主催:東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガース
参照: ウィキペディア
・ 星野仙一さん死去 70歳、中日・阪神・楽天で監督
・ 星野仙一さんが死去 プロ野球中日・阪神・楽天で監督
・ 星野仙一さん死去=「燃える男」、70歳-プロ野球
・ 星野氏のお別れ会開催=楽天と阪神

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