[おくやみ]石牟礼道子 氏(作家)90歳 2018年2月10日逝去

[お偲び] 石牟礼道子 氏(作家)

石牟礼道子(いしむれ・みちこ)氏
生誕: 1927年3月11日
命日: 2018年2月10日 3時14分
(熊本県熊本市の介護施設で)
年齢: 90歳
出身: 熊本県天草郡河浦町(現 天草市)
肩書: 作家
備考:葬儀は近親者で施行。
生後まもなく対岸の同県水俣町(現 水俣市)に移住した。代用教員勤務や結婚を経て歌作や詩作を始めた。短歌で才能を認められ、1958年、詩人谷川雁氏らと同人誌「サークル村」に参加。南九州の庶民の生活史を主題にした作品を同誌などに発表した。68年に「水俣病対策市民会議」の発足に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。69年には水俣病患者と家族を訪ね歩いて心の声に耳をすませてつづった「苦海浄土 わが水俣病」(第1部)を発表した。自身の思いや患者の一人称の語りなどを交えて公害の実態をえぐり出した作品として高い評価を受け、70年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞にも選ばれたが「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と受賞を辞退した。「苦海浄土」は第2部「神々の村」と第3部「天の魚」で完結。他にも「流民の都」など水俣病をテーマにした文学作品を精力的に発表するとともに、患者らに寄り添った支援活動を続け、水俣病被害者の精神的支柱であり続け、近代合理主義では説明しきれない庶民の内面世界に光をあてた。現代の文明がもたらす矛盾に強い関心を抱き、漁民らの豊穣な生のありようを描き出すとともに、精霊や動物が生き生きと語る神話的な作品世界を通じて、現代社会の問題点を示した。2002年には、人間の魂と自然の救済と復活を祈って執筆した新作能「不知火」が東京で上演され、翌年以降、熊本市や水俣市でも披露された。晩年はパーキンソン病と闘いながら、50年来の親交がある編集者で評論家の渡辺京二さんらに支えられ、執筆を続けた。中断したままだった「苦海浄土」第2部の「神々の村」を04年に完成させ、3部作が完結。11年には作家池澤夏樹さん責任編集の「世界文学全集」に日本人作家の長編として「苦海浄土」が唯一収録された。小説のほか詩歌やエッセー、新作能など創作の幅は広く、古代から継承した生命観に立脚し現代文学の主流と一線を画した詩的散文は、国内外の多くの作家や思想家にも大きな影響を与えた。73年、水俣病関係の一連の著作で「アジアのノーベル賞」として知られるフィリピンの国際賞「マグサイサイ賞」、93年には不知火の海辺に生きた3世代の女たちを描いた「十六夜橋」で紫式部文学賞。環境破壊による生命系の危機を訴えた創作活動に対し、01年度の朝日賞を受賞。03年に詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞を受けた。全17巻の全集は13年までに刊行(14年に別巻の自伝)。他の著作に「西南役伝説」「アニマの鳥」「陽のかなしみ」「言魂」(故 多田富雄氏との共著)など多数。
参照: ウィキペディア
・ 石牟礼道子さんが死去 「苦海浄土」の作家
・ 石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
・ 石牟礼道子さん死去=水俣病描く「苦海浄土」-90歳

追悼の言葉を残す

供花(カラー)