[おくやみ]若宮啓文 氏(朝日新聞社 元主筆、日本国際交流センター シニア・フェロー)68歳 2016年4月28日逝去

[お偲び] 若宮啓文 氏(朝日新聞社 元主筆、日本国際交流センター シニア・フェロー)

若宮啓文(わかみや・よしぶみ)氏
命日: 2016年4月28日
(中国 北京市内のホテルで)
年齢: 68歳
出身: 東京都
肩書: 朝日新聞社 元主筆、日本国際交流センター シニア・フェロー
備考:東京大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。長野支局や政治部の記者を経て、政治部長、論説主幹などを歴任した。長野支局時代は部落差別の現状を伝える連載キャンペーンを展開。加筆して著書「ルポ現代の被差別部落」を刊行した。75年に配属された政治部では、宮沢喜一氏らの宏池会などを担当した。2002年に論説主幹に就くと、「闘う社説」を掲げる一方、国際社会の中で日本がとるべき針路を改めて問うた。07年の憲法記念日に21本の社説を一挙に掲載した「提言・日本の新戦略――社説21」を主導。憲法9条は堅持しつつも、新しい平和安全保障基本法で自衛隊の役割を位置づけるべきだと主張した。小泉純一郎首相の靖国神社参拝では、読売新聞の渡辺恒雄主筆と雑誌「論座」で対談。両紙を代表する2人が足並みをそろえて「参拝反対」を訴えた。2011年から13年1月まで主筆を務めた。憲法や安全保障に関する主張を発信した。12年3月には、大統領復帰直前のロシアのプーチン首相と海外主要紙幹部とともに会見。日ロ間の領土問題について、プーチン氏から「引き分け」で解決しようとの発言を引き出した。2013年1月に朝日新聞社を退社し、日本国際交流センターのシニア・フェローに就任した。退社後も追い続けたのは、日本の保守政治の「アジア観」だった。また、日本や韓国の大学で客員教授を務めた。日韓国交正常化50年の2015年、旧著に加筆して「戦後70年 保守のアジア観」を出版。昨年度の石橋湛山賞を受賞した。日中韓を中心とする国際交流に尽くし、韓国の大手紙・東亜日報にもコラムを書いていた。
参照:
・ 若宮啓文・元朝日新聞主筆が死去
・ 若宮啓文氏が死去 朝日新聞社元主筆
・ 若宮啓文・元朝日新聞主筆死去=訪問先の北京で

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