[おくやみ]金子兜太 氏(俳人、文化功労者)98歳 2018年2月20日逝去

[お偲び] 金子兜太 氏(俳人、文化功労者)

金子兜太(かねこ・とうた)氏
生誕: 1919年9月23日
命日: 2018年2月20日 23時47分
(埼玉県熊谷市の病院で)
年齢: 98歳
出身: 埼玉県
肩書: 俳人、文化功労者
備考:葬儀は近親者で施行。
埼玉県皆野町に育った。父の影響で作句を始め、学生時代から俳誌「寒雷」などに投句、加藤楸邨に師事した。東京帝大(現東京大)経済学部卒業。1943年日銀に入行。直後退職して海軍経理学校に入り、太平洋のトラック島(現チューク諸島)に赴任。餓死者などが相次ぐ中、終戦を迎えた。戦後日銀に復職した。作句活動に力を入れ、時々の社会問題を積極的に詠み込む「社会性俳句」の旗手として、56年現代俳句協会賞を受賞した。50~60年代、季語や575の形式にとらわれない先鋭な隠喩表現を重視する「造型俳句論」を提唱した。「銀行員等(ら)朝より螢光す烏賊(いか)のごとく」「彎(わん)曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」に代表される、前衛俳句の旗手として知られるようになった。62年に俳句誌「海程」を創刊、85年から主宰。写生重視、花鳥諷詠を旨とする伝統派に鋭く対抗した。やがて小林一茶や種田山頭火らの研究を通じ、作風も自らの産土秩父の風土や、さまざまな命との交感の思いを濃厚に打ち出すようになり、「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」「おおかみに螢が一つ付いていた」などの作で話題を呼んだ。83年から現代俳句協会会長、2000年から名誉会長を務め、俳句の大衆化にも貢献した。「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。「寒雷」同人。句集に「少年」「金子兜太句集」「遊牧集」「両神」「日常」など。「二度生きる 凡夫の俳句人生」などエッセーも多数。著書に「今日の俳句」「荒凡夫 一茶」など。02年に蛇笏賞、05年にスウェーデンのチカダ賞、10年に菊池寛賞。05年より日本芸術院会員。俳句の振興に尽力したとして、08年に文化功労者となった。17年には主宰誌「海程」を自身が99歳となる18年9月で終刊する意向を表明していた。
偲ぶ会:
2018年6月22日
有楽町朝日ホール
参照: ウィキペディア
・ 俳人の金子兜太さん死去 前衛俳句の旗手
・ 金子兜太さん死去 戦後日本を代表する俳人
・ 金子兜太さん死去=現代俳句の旗手、文化功労者
・ 故金子兜太さんを偲ぶ会 俳人
・ 故金子兜太氏(俳人、2月20日死去)のお別れ会

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