[お偲び] なかにし礼 氏(作詞家)

なかにし礼(なかにし・れい)
命日: 2020年12月23日 4時24分
(東京都内の病院で)
年齢: 82歳
出身: 旧満州 牡丹江市(現 中国東北部)
肩書: 作詞家
備考:本名は中西礼三(なかにし・れいぞう)。葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
戦後、日本に引き揚げた。立教大在学中、20歳からシャンソンの訳詞を始めた。25歳の時、新婚旅行先の静岡・下田で出会った石原裕次郎の勧めで作詞家に転向。菅原洋一さんが歌った「知りたくないの」のヒットをきっかけに、本格的に作詞家の道に進んだ。68年には黛ジュンさんの「天使の誘惑」、70年には菅原さんの「今日でお別れ」、82年に細川たかしの「北酒場」が日本レコード大賞を受賞。「恋の奴隷」「時には娼婦のように」「石狩挽歌」「AMBITIOUS JAPAN!」など数々のヒット曲を生み出した。作詞家としての遺作となった2020年2月発売の氷川きよし「母」は日本レコード大賞優秀作品賞に選ばれた。このほか黒沢年男(現・年雄)さんの「時には娼婦のように」北原ミレイさんの「石狩挽歌」などヒット曲を次々と生み出し、訳詞を含めると手がけた曲は4千曲になる。90年代に入ると作家活動を本格化させ、98年に自身の兄との葛藤を描いた自伝小説「兄弟」が直木賞候補。2000年に民謡を題材にした「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。満州からの引き揚げ体験を元に描いた「赤い月」などで話題を集めた。02年の「てるてる坊主の照子さん」は、NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」の原作となった。映画の脚本やオペラの台本・演出など、幅広い分野で活躍した。テレビのコメンテーターとして、スマートで軽妙な語り口で活躍していた。「日本という国家に3回見捨てられた」という壮絶な引き揚げ体験を作品やメディア、講演で語り、平和や反核への強い思いを訴え続けた。12年に食道がんがみつかり治療に専念。闘病生活を記録した著書も話題になった。その後も再発したがんと向き合いながら、作詞、小説、エッセーなど創作意欲が衰えることはなかった。
参照:
・ なかにし礼さん死去 作詞家「北酒場」「石狩挽歌」
・ 作詞家のなかにし礼さんが死去 「北酒場」、直木賞受賞
・ なかにし礼さん死去、82歳 「北酒場」「長崎ぶらぶら節」

追悼の言葉を残す