[お偲び] 三上誠三 氏(実業家、政治活動家)

三上誠三(みかみ・せいぞう)
生誕: 1949年10月11日
命日: 2015年4月11日 17時40分
(青森県五所川原市の病院で)
年齢: 65歳
出身: 旧 金木町(現 五所川原市)
肩書: 実業家、政治活動家
葬儀: 2015年4月17日
会場: 金木公民館
青森県五所川原市金木町菅原367−1
備考:建設会社や観光会社を経営するかたわら東京都知事選や大阪府知事選、衆院選などに出馬し、いずれも落選。2007年の北海道夕張市長選では次点になり、大きな話題になった。2011年の大阪府知事選にも立候補を一時表明していたが、病気を理由に辞退した。親しい住職に「戦国武将・豊臣秀吉の生まれ変わりだ」と言われて以降、羽柴秀吉を名乗るようになったと説明していた。
参照: ウィキペディア
・ 全国の選挙に出馬「羽柴秀吉」こと三上誠三氏が死去
・ 三上誠三さん死去 「羽柴誠三秀吉」などの名で立候補
・ 秀吉名乗り立候補の三上氏死去

6つの追悼の言葉があります

  1. 羽柴秀吉さんへ
    天才ビートたけし テリー伊藤プロデュース「元気がでるテレビ」をはじめ、羽柴秀吉さん
    の長年に亘るテレビタレント功績に、謹んで哀悼の意を添え、ご冥福お祈りいたします。

    某民放テレビの取材交渉に際しては、思いがけず五所川原の豪邸に招き入れてくださるなど、お茶室にて羽柴さんご夫妻が温かく茶菓子おもてなし戴き、まさに人格も戦国武将秀吉さんそっくりでした。懐かしいかぎりです。あれから10年以上経つのですね。
    掲げてあったデビ・スカルノ夫人らとの社交パーティ写真がすばらしかったです。

    寒いから温かいものでも食べろ食べろ!と、市内でもラーメンをスタッフ一同にご馳走して下さり、気さくでやさしい方でしたが、実業家としての大願を前に、残念でなりません。
    体を酷使していらしたので、すでに労災水準だったのでしょうか。4月17日本日の告別式には参席できませんが、一同として東京より弔電いたしました。

    本日は、奇しくも「NHK総合テレビ」22時より「ファミリーヒストリ-坂上忍」さんが放映されますが、当局では、おふざけではなく、真剣に「羽柴秀吉」さんのファミリーヒストリー」
    を企画中でした。「住職のおつげ」「金木秀吉埋蔵金」「奥州金木城と秀吉遠征古文書秘録」「青函トンネルでの大成功」「200億円の資産」「宮崎青島ホテル買収」「選挙」「夕張発電所構想」「第二青函トンネル」など、取材した内容は山ほどありますので、「サンデージャポン」など、全国の映像制作社連盟として追悼番組を企画答申します。


    総務省 社団法人 関東映像制作社連盟 理事監事 一同 テレビ番組制作局 一同
  2. 羽柴秀吉 殿

    「サンデープロジェクト」「選挙特番」「コラム」取材では
    五所川原市内で大変お世話になりました。

    猪突猛進さだけではなく、冷静沈着さもあり、まさに戦国武将・・・
    羽柴さんがなぜ豊臣と名乗らないのかはじめはよくわからなかったが
    羽柴姓の群雄割拠時代に自分を重ね合わせていたんですね。

    長州ファイブマニア安倍晋三首相が、「プリンセストヨトミ」を観て思いついた
    橋下大阪市長と「大阪都構想」を実現させようと
    していますが、羽柴さんにぜひ聴きたかったです。

    「プリンセストハシバ」を護ります。
    あなたは太閤:大阪国大統領であった。                  合掌


    雑誌 「政界往来」 編集部  有志 一同
  3. 羽柴秀吉さん。
    65歳だったんですか。まだまだだったのに。残念です。
    青森弁で何言っってんのか判らなかったけど。
    あなたは、大阪だけでなく日本全国を周って元気にしてくれた。
    苦しいとき、辛いとき、悩んでいるとき、忙しいとき、選挙に無関心なとき・・・・・・・
    日本国民は「元気がでるテレビ」を観てました。

    ありがとう。羽柴さん。全国いろんな人と握手したんですね。語りあったんですね。
    たぶん、みんなそう思ってますよ。「鶴瓶 NHK 家族に乾杯」じゃないけど。

    羽柴さん青森弁生DJで
    「日本昔話全100話」を深夜、ラジオで聴きたかったなあ。
    それもエフエムで。 時代劇「戦国武将」にも出てほしかったなあ。
    秀吉さん。 安らかに眠ってくださいね。


    メロリンQ(山本太郎と仲間たち)
  4. 羽柴秀吉さ~ん!長い間ありがとうございました。秀吉さんに縁がある方として都内
    山口県萩市「萩焼個展 大屋窯」で気軽に握手してもらったのを覚えてます。

    社交的な方ですごいジャガ-ロングリムジンに乗っていらしたけど、手を振って参加して下さりしかもノーギャラで。青森から東京へ1泊3日とか。生真面目な方でいつも一生懸命で疲れていそうな感じでしたが、残念です。

    あなたは毎日:命がけで何万回も青函トンネルの土砂を運んで財を成し、夢とロマンあふれる努力家でした。

    いま海の天候に左右されず、北海道と本州(内地)を「海ほたる」みたいに自由に行き来できるのは、羽柴秀吉(三上誠三)さんをはじめ、土砂運搬事故犠牲で亡くなった多数の方々のおかげです。
    青函トンネル竜飛崎に吉田松陰先生踏海碑がありますが、羽柴秀吉さんを青函隧道(トンネル)顕彰します。ゆっくり休んでください。


    花燃ゆ(竜飛崎に縁ある吉田松陰と三上誠三秀吉を偲んで)
  5. 実業家 タレント 名士 羽柴秀吉 殿
    お悔やみ申します。大谷プロです。

    田原総一郎「日曜討論番組」夕張市長選コメントなどではお世話になりました。

    当時公職選挙期間中にて貴殿の出演は叶いませんでしたが、
    大谷哲郎プロデュース「政治演劇 高杉晋作と奇兵隊」
    には、わざわざ当プロの出演依頼を快諾のほど、著名人多数と
    心温まる交流「芸能人・著名人」陣へ方青森よりコメント賜り感銘をうけました。

    貴殿が憂いた夕張市は貴殿警鐘とおり東京都夕張支所となり、ほとんど進捗していません。貴殿の予言的中です。

    夕張市長の「鈴木直道」は、夕張に縁がある健さん(高倉健さん)が亡くなったときもJR北海道事故も、喪に服さず、弔電もださず、かけつけず、常識・道徳・礼節がかけており、以降毎日HP「市長の部屋」では依然右手ひとさし指を立て挑発するなど、夕張関係者としては恥ずかしい限りです。

    メディア関係者としてだけでなく貴殿を継承する立派な若者を夕張で育成してゆきます。
    安心して極楽浄土へ旅立ってください。貴殿CD「夕張のひと」もメディアで流します。


    夕張にひとこと (高倉健さんに失礼弁えぬ夕張市長 )
  6. 長文で失礼します。

    かなり前の初秋:羽柴さんの旅館ホテルに泊まったことがある者です。
    羽柴さん。あの時は、とんでもなく懐のふかい「おもてなし」をありがとう。
    「黄金の部屋」も内緒で見せてくれてありがとう。座らせてくれてありがとう。

    たった1万円しかだしていないのに、わざわざ部屋だしで、東京では食べられない
    豪華な地元のエビやカニの舟盛がドカンとサービス。
    たまげた!すごかった!お米もよく殿様気分を味わえおいしかった。

    部屋もきれいだったし、いまはどうなっているかは知らないが、
    赤茶けたお風呂が体に浸みて効いてよかった結構外来入浴客もきてたし。
    1000m以上も自分で掘って地元に温泉が出たんですと暁に焼けた羽柴さんの説明顔が印象深かったな。

    朝は、巨大なノコギリクワガタやカブトムシが玄関に落ちていて拾うだけ。
    林間学校なども盛況でした。

    テレビと変わぬ感じ。その笑顔ももう見られない。ふるさと愛がありました。

    芸能人インバウンドツアー「元気がでるおもてなしツアー」やってほしかったな。
    よしいくぞう!「元気がでるテレビ」復活を。                                   

    ご冥福をおいのりいたします。


    よしいくぞう (小田川温泉 秀吉のやかた)