[おくやみ]岩井直溥 氏(作曲家、編曲家)90歳 2014年5月10日逝去

[お偲び] 岩井直溥 氏(作曲家、編曲家)

岩井直溥(いわい・なおひろ)氏
生誕: 1923年10月2日
命日: 2014年5月10日 15時43分
年齢: 90歳
出身: 東京都
肩書: 作曲家、編曲家
葬儀: 2014年5月14日
会場: 帝都典礼 碑文谷会館
東京都目黒区碑文谷4丁目21−10
備考:1942年(昭和17年)に旧 東京音楽学校に入学。ホルン専攻。1943年(昭和18年)に学徒出陣により旧大日本帝国陸軍に入隊。朝鮮半島へ出征。その後千葉県習志野市の東部軍教育隊へ異動。館山市の守備隊で見習士官(准尉)で終戦を迎える。母親は帝国劇場のリハーサルピアノプレーヤー。ホルン専攻ではあるが、終戦後ジャズの世界にとびこみ、トランペットも演奏。ニューフェローズを結成し、東京都中央区銀座のアメリカ合衆国軍のナイトクラブで演奏。その後ビバップエース、アーニーパイルオーケストラを経てシティ・スリッカーズへ。アーニーパイル時代に編曲を始める。“フランキー堺とシティ・スリッカーズ”(1954 - 1957)は当時のアメリカ合衆国のコミックジャズバンド“スパイク・ジョーンズ&ザ・シティ・スリッカーズ”に範をとり、フランキー堺をはじめ、谷啓、植木等、桜井センリらを擁した16人編成のバンドであった。のち東芝イーエムアイの専属となり作曲、編曲を手がけ尾藤イサオ、山下敬二郎、森山加代子、弘田三枝子、スリーファンキーズなどの曲を手がける。作曲を橋本國彦に師事。全日本吹奏楽コンクールの課題曲を手掛けるなど「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれた。
参照: ウィキペディア
・ 作曲家・岩井直溥さん死去 「吹奏楽ポップスの父」
・ 岩井直溥氏が死去 作編曲家、指揮者
・ 「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれた作曲家・編曲家の岩井直溥さん死去

2つの追悼の言葉があります

  1. 先生の訃報を知り、大変悲しいです。
    先生の作品を数多く演奏させていただきました。
    とても楽しく、演奏させていただきました。
    数々の名曲を世に送り出した先生のご冥福をお祈りします。


    匿名
    供花(カラー)
  2. 岩井直溥先生のご冥福をお祈り致します。40年近く前に、コンクール課題曲「メインストリート」の研究会でモデルバンドの指揮者として先生にお会いしてから、昨年の市民バンドの定演でお元気な姿を拝見し、いつまでもポップス吹奏楽の父でご活躍される事を願っておりましたが、訃報に接しまして、とても残念でなりません。小生も現役時代には先生の指揮を真似て、お客様に喜んで頂いた事を懐かしく思い出しております。
     天国でもあの軽快なお姿で、先立った音楽好きの仲間の輪の中心に居られる事と思います。
     安らかに。


    竹之内晃
    供花(カラー)

追悼の言葉を残す

供花(カラー)