[おくやみ]照屋寛徳 氏(元衆議院議員)76歳 2022年4月15日逝去

[お偲び] 照屋寛徳 氏(元衆議院議員)

照屋寛徳(てるや・かんとく)氏
命日: 2022年4月15日 13時42分
(沖縄県中頭郡西原町の病院で)
年齢: 76歳
出身: 沖縄県うるま市
肩書: 元衆議院議員
葬儀: 2022年4月18日
会場: セレモニー中頭
沖縄県うるま市兼箇段1740−1
備考:前原高、琉球大法文学部を卒業し、沖縄が日本に復た1972年に弁護士登録。米軍基地の集中する沖縄で、基地関連のさまざまな問題に向き合った。同県の米軍嘉手納基地(嘉手納町など)の騒音被害をめぐる爆音訴訟では原告にも名を連ねた。家永教科書裁判などの弁護団に加わった。基地負担軽減や日米地位協定の改定を訴え、「沖縄問題の第一人者」として知られた。
88年に県議に初当選し、2期務めた。95年の参院選に沖縄選挙区から無所属で立候補し初当選。参院議員を1期務めた。2003年、衆院選の沖縄2区に社民党からくら替え出馬し当選、連続6期務めた。2021年の衆院選には立候補せず引退した。社民党の副党首や国会対策委員長などを歴任した。国政の場では米軍の事件・事故が相次ぐ沖縄の現状を問い続け、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画にも一貫して反対した。「沖縄戦の悲劇を繰り返してはならない」との思いで護憲を訴え続けた。「ウチナーの未来は、ウチナーンチュが決める」との信念を掲げ、保革を問わず幅広く支持を広げた。社民党県連代表で県議の照屋大河氏は長男。
参照:
・ 照屋寛徳氏が死去 元衆院議員
・ 前社民党衆院議員の照屋寛徳さん死去 沖縄の基地問題などに取り組む
・ 照屋寛徳氏が死去 前衆院議員、社民党副党首も歴任 76歳

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