[お偲び] 竹本住太夫 氏(人形浄瑠璃文楽の太夫[語り手]、人間国宝)

竹本住太夫(たけもと・すみたゆう)
生誕: 1924年10月28日
命日: 2018年4月28日 14時42分
(大阪府大阪市の病院で)
年齢: 93歳
出身: 大阪府大阪市
肩書: 人形浄瑠璃文楽の太夫[語り手]、人間国宝
事由: 肺炎
葬儀: 2018年5月1日
備考:養父は人間国宝だった6代目竹本住太夫。戦前の大阪・北新地で生まれ、近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台となったお初天神で遊び、幼い頃から養父の手ほどきを受けて育った。1944年に大阪専門学校(現近畿大学)を繰り上げ卒業して出征。召集先の中国で終戦を迎えた。復員間もない46年に二世豊竹古靱太夫(後の豊竹山城少掾)に入門し、豊竹古住太夫を名乗った。太夫としてのスタートは遅かったものの、初の大卒太夫と家柄で当初から注目を浴びた。文楽が48年に2派に分かれた際は組合派(後の三和会)に属し、二世野澤喜左衛門の猛稽古を受けた。60年に九世竹本文字太夫を襲名。81年には重要な場面を語る太夫最高位の「切場語り」となった。多彩な登場人物の語り分けと情感豊かな表現で第一人者の地位を確立し、85年、父の名跡を継いで七世住太夫を襲名した。「時代世話」と呼ばれる分野の演目を得意にし、「沼津」(伊賀越道中双六)や「合邦庵室」(摂州合邦辻)、「堀川」(近頃河原の達引)など、人の思いやりやしみじみとした情がにじみでる演目を得意とした。他にも「野崎村」(新版歌祭文)など代表作は多い。89年に人間国宝に選定。親子2代での選定は文楽界初だった。2002年日本芸術院会員、05年文化功労者。08年にはフランス政府から芸術文化勲章コマンドールを贈られた。14年には文化勲章を受章した。現役時代は講演活動や後進の育成など文楽の普及、発展にも取り組み、人形遣いの初代吉田玉男さんらとともに一座の牽引役を務めた。長年の厳しい稽古で鍛えた声と精妙な息で、登場人物の心情を分かりやすく語った。休演知らずだったが02年に病気で療養。復帰後の03年には、文楽がユネスコの無形文化遺産に認定され、再び精力的に舞台をつとめていた。12年に脳梗塞を発症し、14年5月、東京・国立劇場で上演された「恋女房染分手綱 沓掛村の段」で惜しまれながら68年間の太夫人生に幕を下ろした。引退後もリハビリと弟子の稽古を続け、竹本文字久太夫や竹本小住太夫らを育てた。著書に「言うて暮しているうちに」「人間、やっぱり情でんなぁ」など。

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