[お偲び] 薩摩夘一 氏(株式会社美々卯 元社長)

薩摩夘一(さつま・ういち)
命日: 2019年3月13日
年齢: 94歳
肩書: 株式会社美々卯 元社長
葬儀: 2019年3月20日
会場: 千里会館
大阪府吹田市桃山台5丁目3−10
備考:「うどんすき」の店を戦後再興し、関東などに店舗を広げた。
参照:
・ 薩摩夘一氏が死去 元美々卯社長

追悼の言葉があります

  1. 亡くなられたと知ったのは昨年のことでした。とうに一周忌も終わった、秋頃だったと記憶しています。
    あれから一年近くが経ち、ようやく感謝の言葉を綴ることができるようになりました。
    高卒で美々卯に入社し、その入社式で会長から叱っていただいたことは、十八年が経った今でもよく覚えています。当時、所謂「偉い人」の話は漏らさず聞いていなければならないと思っていました。しかし会長が、聞いているだけではいけない、メモをなぜ取らないのかと叱られた時、何が何なのかよくわからないままメモを取り始めました。
    今になって思えば、人の話を聞くという姿勢はどんなものであるのかを教えて頂いたのだと、深く感謝しています。
    当時のメモ帳は紛失してしまいましたが、会長の話された二点については私の接客精神の基礎となりました。私達にとって百食のうちの一食であったとしても、お客様にとって一日にたった三食しかないうちの一食を、数ある飲食店の中から自分の働く店を選んでくださったのだから、いいかげんなものを出してはならない。常に完璧なものをお出ししなさい。そして私達のお給料は、そうやって店に来てくださったお客様から頂いたもの。貴重な一食の対価として頂くのだから、お客様に感謝の心を持って接しなさい、と。
    会長が店舗へ見えられた時は、いつも「ありがとう、みんなお疲れ様、ようやってくれてありがとう、ありがとう」と仰って下さっていた事を覚えています。

    美々卯を退社した後も、私は飲食店で働いてきました。その店の方針と、私の持つ接客の基礎が折り合わない事もありました。ですが私なりに、会長から聞いた教えと店舗で先輩方から学んだ接客の姿勢を、応用するようにしてきたと思っています。

    入社時点の私は、板場としての採用でした。
    人見知りで接客など到底向いていないと思っていましたが、研修でホールに出た事で、板場よりもホールの仕事の方が好きだと、最終的に飲食店での接客は天職だと思えるまでになりました。
    それもこれも、入社式で会長が教えて下さった事が私の中に根付いた結果です。
    初めての職場が美々卯でよかった。折に触れてそう思います。

    今の私は働く事が叶いません。もしまた飲食店で接客ができるようになったとしても、長年のブランクを経た結果、どこまで体を動かせるようになるでしょう。いつになれば心が癒えて、働く事が叶うでしょう。
    ですが会長に教えて頂いた、叱って頂いた人間として恥ずかしくない接客をしたい。この店で食べてよかったと思っていただける接客をしたい。
    きっとそれが会長への恩返しになると信じていたいです。

    会長、言葉に尽くせないほど感謝しています。激動の時代に暖簾を守り続けて下さってありがとうございます。
    本当にありがとうございます。


    2002年入社の元一社員

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