[お偲び] 西澤潤一 氏(東北大学 元学長)

西澤潤一(にしざわ・じゅんいち)
命日: 2018年10月21日
年齢: 92歳
出身: 宮城県仙台市
肩書: 東北大学 元学長
備考:葬儀は近親者で施行。
戦時中の1948年に東北大工学部電気工学科を卒業。米国でトランジスタが開発された情報を聞きつけ、大学院でトランジスタや半導体、電子材料の基礎的な性質の研究を始めた。1950年に「pinダイオード」という素子を開発したのを皮切りに次々と成果を出し、「ミスター半導体」と呼ばれるようになった。米国の学者らが「日本にはニシザワという名字が多いのか」と話し合ったという逸話もあった。50~60年代には電気信号を光に変換する半導体レーザー、大容量の光信号を長距離伝送する集束型光ファイバー、光信号を電気信号に変えるフォトダイオードを発明した。これらは光通信の三大要素とされ、半導体技術とともに、現代の情報通信社会を築く技術開発に大きく貢献した。東北大の伝統である「実学重視」の学風を受け継ぎ、産業界にも多くの人材を輩出した。シリコンの完全結晶開発など国のプロジェクトのリーダーも務めた。優れた電子工学者を表彰する米電気電子技術者協会(IEEE)の「エジソンメダル」を2000年に日本人として初めて受賞した。同協会は「ジュンイチ・ニシザワ・メダル」を創設し、04年から研究者を表彰している。90~96年に東北大学長を務め、98年には岩手県立大学長に就任した。2005年春からは、首都大学東京の初代学長を務めた。日本学士院賞、朝日賞のほか、83年に文化功労者、89年に文化勲章、02年に勲一等瑞宝章を受章した。また、米国電気電子学会のエジソン賞を日本人で初めて受賞。科学者として精力的に世界中を歩き、米国など西側だけではなく、旧ソ連などにも幅広い人脈があった。「人のやっていないことを」「ほかより早く」「しかし、間違ってはならない」。この三つを研究姿勢に掲げた。ときに学界の通説と衝突しては「闘う学者」とも評された。憲法改正を掲げる運動団体「日本会議」の大会であいさつをするなど、保守的な言動でも知られた。絵画や音楽の鑑賞にも熱を入れ、フランスの美術館でモネの「睡蓮」が逆さに展示されているのを見つけ、地元メディアに紹介されたこともあった。
追悼の会:
2018年12月16日
ウェスティンホテル仙台「グランドボールルーム」「エルミタージュ」
参照:
・ 西沢潤一さん死去 半導体の世界的権威
・ 「ミスター半導体」西沢潤一さんが死去 東北大元総長
・ 西沢潤一氏死去=光通信、半導体の世界的権威
・ 故西沢潤一氏のお別れの会 元東北大学長
・ 故西沢潤一氏(元東北大学長、10月21日死去)の追悼の会

2つの追悼の言葉があります

  1. 青葉山キャンパス計画では計画委員のご指名を頂き光栄でした。工学部リニューアル計画では、阿部博之先生、中塚勝人先生のご指導で相応の仕事ができ、無事次代に引き継ぐことができました。これもスタートが確としたものだったからと心から感謝しています。ご冥福をお祈りします。


    伊藤邦明
  2. 拝啓
     偉大な科学者西澤潤一先生の突然の訃報に接し、ただただ驚きでいっぱいでございます。ご家族ご親族の皆様のご心痛いかばかりかとお察し申し上げます。
     先生は私ども郷土二戸市の先人、文化勲章受章・二戸市名誉市民田中舘愛橘博士を敬愛されておりました。
     平成一四年の博士没後五十周年記念事業として国際シンポジューム開催の折のことでございます。シンポジストのご依頼に丹野幸男実行委員長らが岩手県立大学学長室に表敬訪問した際、用件を耳にされた先生は、居住まいを正し即座に「田中舘先生のためでしたら、できることは何なりとお申し付けください」との思いがけなくもありがたいお言葉を賜り、一同深い感激のもとに辞したことが今も語り継がれております。
     現在私ども二戸市シビックセンターの田中舘愛橘記念科学館が、親しまれながら活動出来ておりますのも先生のご厚情、ご支援があればこそと、私ども関係者一同、厚く感謝申し上げる次第でございます。
     ありがとうございました。
                                      敬具
     
                   二戸市シビックセンター指定管理者
                     特定非営利活動法人 二戸市文化振興協会
                              理事長  菅 原 孝 平
                 
     


    二戸市シビックセンター指定管理者

追悼の言葉を残す