[お偲び] 高田賢三 氏(ファッションデザイナー)

高田賢三(たかだ・けんぞう)
命日: 2020年10月4日
(フランス・パリ近郊の病院で)
年齢: 81歳
出身: 兵庫県姫路市
肩書: ファッションデザイナー
事由: 新型コロナウイルス感染
備考:神戸市外大を中退して、1958年、男性に門戸を開いたばかりの文化服装学院に入学。同じくファッションデザイナーとなるコシノジュンコさん、「ニコル」の松田光弘さん、「ピンクハウス」の金子功さんらとデザイン科で同窓になり、「花の9期生」と呼ばれた。1960年に若手デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞。三愛など婦人服メーカーのデザイナーを経て、65年に貨客船でフランスに渡り、70年4月、パリに初のブティック「ジャングル・ジャップ」を開店。ファッション界がオートクチュール(高級注文服)からプレタポルテ(既製服)に移行する時期で、「高級既製服」の草分けの一人とされる。直線と面で作る民族調のフォークロアなどを題材に、独創性でパリモードの常識を破った。直線裁ちの大きな服で新鮮な印象を与えた。夏物にだけ使われていた木綿を、秋冬物にも使った。タブー視されていた原色づかいや、花柄と縞の組み合わせで注目された。ショーのあり方も、自分の店の中で衣服ごとの番号札を持ったモデルが1人ずつ歩く形態から、大会場で音楽を流し、何人もが同時に踊り、練り歩く姿へ変えた。ハンドバッグでもショルダーバッグでもない「ポシェット」を作り出し、重ね着ルックを提案した。イブ・サンローラン氏、カール・ラガーフェルド氏などとともにパリコレのトップデザイナーとして活躍した。自らが立ち上げたブランド「ケンゾー」を93年にLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンに売却。経営手法を巡ってLVMHグループ総帥のベルナール・アルノー氏と対立して99年に60歳で「ケンゾー」のデザイナーを引退。その後、2004年のアテネ五輪の日本選手団のユニホームなどを手がけた。84年に仏政府の芸術文化勲章(シュバリエ)、2016年にレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を受章するなど世界で高く評価された。日本では78年に6大都市縦断ショーを実施。85年毎日ファッション大賞、99年紫綬褒章などを受けた。
参照:
高田賢三さん死去 KENZO創設デザイナー、81歳
KENZOの高田賢三さん死去 新型コロナ感染
高田賢三さん死去、81歳 「ケンゾー」創業者、仏で成功

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