[おくやみ]鶴澤寛治 氏(人形浄瑠璃文楽の三味線、人間国宝)89歳 2018年9月5日逝去

[お偲び] 鶴澤寛治 氏(人形浄瑠璃文楽の三味線、人間国宝)

鶴澤寛治(つるざわ・かんじ)氏
命日: 2018年9月5日 4時30分
(奈良県生駒市の病院で)
年齢: 89歳
出身: 京都府京都市
肩書: 人形浄瑠璃文楽の三味線、人間国宝
葬儀: 2018年9月7日
会場: 金光教玉水記念館
大阪府大阪市西区江戸堀1丁目10−31
備考:本名は白井康夫(しらい・やすお)。
父は文楽三味線の人間国宝だった六代寛治。6歳ごろから地唄と琴を習い、13歳で父から義太夫に使う低音の三味線、太棹の手ほどきを受けた。1943年4月、正式に父に入門。初名は鶴澤寛子。同年10月、大阪・四ツ橋文楽座「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)・酒屋」で初舞台を踏んだ。44年1月、鶴澤寛弘に改名。56年1月には大阪・道頓堀文楽座で八代竹澤団六を襲名した。94年4月より三味線弾きの最高格である「三味線格」になり、97年に人間国宝に認定された。2001年1月、七代鶴澤寛治を襲名した。「チン、の一撥で心を伝えるのが義太夫三味線」と語り、奥行きのある名曲「御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)」や「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」などを得意とした。80歳を超えても舞台で三味線を弾き、弟子で孫の鶴澤寛太郎さんとしばしば共演した。大阪・日本橋の国立文楽劇場で8月7日まで上演された夏休み文楽特別公演「新版歌祭文(うたざいもん)」野崎村の段が最後の出演となった。
参照:
・ 鶴澤寛治さんが死去 文楽三味線弾き、人間国宝
・ 人間国宝・鶴澤寛治さん死去 人形浄瑠璃文楽の三味線
・ 鶴澤寛治さん死去=文楽三味線の人間国宝、89歳

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