上田完次さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた69年

[おくやみ]上田完次 氏(東京大学 名誉教授、兵庫県立工業技術センター 所長)69歳 2015年11月10日逝去

[お偲び] 上田完次 氏(東京大学 名誉教授、兵庫県立工業技術センター 所長)

上田完次(うえだ・かんじ)さん
命日: 2015年11月10日 5時49分
(大阪府堺市の病院で)
年齢: 69歳
出身: 奈良県
肩書: 東京大学 名誉教授、兵庫県立工業技術センター 所長
葬儀: 2015年11月13日
会場: ベルコシティホール泉北泉ケ丘
大阪府堺市南区茶山台1丁1−4
備考:専門は生産工学。
参照:
・ 上田 完次氏 東京大名誉教授、生産工学
・ 上田完次氏死去 東京大名誉教授

上田完次さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

2つの追悼の言葉があります

  1.  畝傍高校の学びの友・上田完次氏追悼

    余りにも突然の上田完次さんの訃報に大変驚きました。昨年12月の同窓会でお目にかかったのが最後になりました。昨夜は2006年以降に頂いた、「上田美智子さん、上田です」から始まるメールを何度も読み返し、今は亡き上田完次さんを偲びました。

    高校一年の時同じクラスで、国語担当のつるよ先生から「上田さん」と呼ばれると、同姓の為よく二人同時に「はい」と返事をしていました。でも先生のご指名は、いつも完次さんでした。文芸部でも三年間一緒でしたので、当時の文芸誌「緑火」をコピーして送った時、とても喜んで頂きました。

    2006年1月、橿原市での同窓生還暦の会で42年ぶりにお会いし、立派になられ、研究者として国際的に活躍されている姿を拝見して、とても誇りに思いました。

    Stüttgart大学の客員教授でドイツに二か月滞在された時、母校畝傍高校で凱旋講演された時、小柴ホールでの東京大学名誉教授就任講演の時等、心温まる文章をメールで送って頂きました。60歳を過ぎても、科学者として高校生の時と変わらない青年の情熱と夢、そして未来への高い志を持ち続け、日本の産業技術や将来の教育問題を熱く語っておられました。

    忘れがたい数々のメッセージと思い出、本当に有難うございました。
    又、ひとり畝傍高校の思い出と、老いてなお希望を話せる友達が亡くなりました。悲しみで一杯です。

    心からご冥福をお祈り申し上げます。

                   2015年11月17日
       
                                上田 美智子 


    上田 美智子
    供花(カラー)
  2. 畝傍高校で友人でしたが、卒業後は別世界に進みましたので音信不通でした。
    一度鶴橋駅で偶然にあったのが印象に残っています。
    上田君は室生村出身でしたので、いつも同じ近鉄電車に乗って高校に通いました。
    懐かしいな!
    ご冥福をお祈りしております。


    匿名
    供花(カラー)

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