吹野安さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた82年

[おくやみ]吹野安 氏(國學院大學 名誉教授)82歳 2015年2月1日逝去

[お偲び] 吹野安 氏(國學院大學 名誉教授)

吹野安(ふきの・やすし)さん
生誕: 1932年2月20日
命日: 2015年2月1日 18時25分
(自宅で)
年齢: 82歳
出身: 茨城県
肩書: 國學院大學 名誉教授
備考:葬儀は近親者のみで執り行われた。専門は中国古典学。
参照: ウィキペディア
・ 吹野安氏死去

吹野安さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

5つの追悼の言葉があります

  1. 21年くらい前に予備校で指導を受けてから、ずっと感謝をしていました。
    今の自分の病気が良くなったら、会いに行きたかったのに。残念です。
    あの世でもお元気で。


    菅原峰春
    供花(カラー)
  2. 明後日は先生の一周忌、暮れに訃報を知り、お書きになった先生の自伝を読み始めました。学生運動が盛んだった頃が私の学生時代でした。生徒の間では、中国文学科の先生だけは信用できる、という会話を何度か聴きました。学生運動集会に先生方が行かれ、深夜のタクシー帰宅が続く生活だったのですね。大きな翼に守られていたことに感謝しております。御家庭での先生は屈託無く素敵なご夫妻とお見受けしました。ご本に挙式の写真、学生証の写真があり僕はこう生きたんだよと語って下さった気がします。謹んでご冥福をお祈り致します。


    匿名
    供花(カラー)
  3. 吹野 先生は当時の私の高校(小平 錦城高校)の漢文の先生でしかも風紀管理責任者でもあられた。背の丈は割合小さな方であったが眼光鋭く迫力のある方。
    若干悪さをする大柄な生徒を教壇に呼びだし「一対一で渡り合うかね」
    と迫った時は生徒が全員怯んだ。また 言葉を大事にと 論語の
    「しもしたに及ばず」 (漢字がすぐ変換されず失礼)一度口から出た言葉は四頭立ての馬車で追いかけても追いつかないんだよー。 と独特な口調でおっしゃっていたのを今でも思いだします。当時から既に漢和辞典の作成にもご参加されていらしてその後国学院大学の教授になられたすごい方。
    我々は漢文の授業を通じ生き方を皆学びました。 素晴らしい先生に出会えたことをいつまでも感謝しています。ご冥福をお祈り致します。 


    山本雅昭
    供花(カラー)
  4. 父が吹野先生の教え子でした。
    錦城でも國學院大學でも教え子でした。
    私の名前をつけて頂いたのも吹野先生でした。ありがとうございました。

    お墓参りに伺いたいと思っています。


    粕谷 玲爾
    供花(カラー)

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