宮崎哲郎さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた75年

[おくやみ]宮崎哲郎 氏(名古屋大学 名誉教授)75歳 2015年3月11日逝去

[お偲び] 宮崎哲郎 氏(名古屋大学 名誉教授)

宮崎哲郎(みやざき・てつお)さん
命日: 2015年3月11日 23時27分
(愛知県稲沢市の病院で)
年齢: 75歳
出身: 京都府京都市
肩書: 名古屋大学 名誉教授
葬儀: 2015年3月14日
会場: 菰野斎奉閣
三重県三重郡菰野町菰野1164−3
備考:放射線化学を専攻。
参照:
・ 宮崎哲郎氏死去(名古屋大名誉教授・放射線化学)
・ 訃報:宮崎哲郎さん 75歳=名古屋大名誉教授、放射線化学専攻 /三重

宮崎哲郎さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

追悼の言葉があります

  1.  長い間ご無沙汰いたしておりましたが、偶然、宮崎先輩(こう呼ばせていただきます)の訃報を知りました。宮崎先輩が東工大を卒業され、ほぼ入れ違いに東工大の修士課程に入学しました。大学でのお付き合いは短かったのですが、私が名古屋出身であったことから、その後帰郷の折、名古屋で何度かお会いしています。大学での研究中にケガをされ、見舞いに行きました。
     お会いした時はいつも優しい表情と語り口で、こんな先輩なら何でも話しができると、印象深く記憶しております。ご結婚とお子さんの誕生も知っています。お子さんを抱いて微笑んでいる写真があったはずです。確か研究テーマから連想して「光子」と名付けたとお話されていた記憶があります。
     50年前の記憶から宮崎先輩へ追悼のことばをお届けする気になったのは私がやり残してしまった炭化水素のラジカル引き抜きによるラジカル生成に関することで、ご存命であれば何か親切なアドバイスをいただけたかもしれないということです。疑問を残したまま研究生活を終えてしまいましたが、ご存命中にお会いしなかったことを今さらながら残念に思っています。
     ご冥福をお祈り申し上げます。


    田中敏之
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