橋口幸子さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた80年

[おくやみ]橋口幸子 氏(「平和の泉」の碑の手記の作者)80歳 2016年4月20日逝去

[お偲び] 橋口幸子 氏(「平和の泉」の碑の手記の作者)

橋口幸子(はしぐち・さちこ)さん
命日: 2016年4月20日 16時55分
(長崎県長崎市の病院で)
年齢: 80歳
出身: 長崎県長崎市
肩書: 「平和の泉」の碑の手記の作者
葬儀: 2016年4月22日
会場: カトリック城山教会
長崎県長崎市若草町6−5
備考:9歳の時、長崎原爆の爆心地から約2キロの疎開先で被爆。家の下敷きになりながらも助かり、家族で山へ避難する際、やむを得ず田んぼの水を飲んだ様子を手記につづり、永井隆博士らが出版した「原子雲の下に生きて」に収録された。
参照:
・ 被爆者の橋口幸子さん死去 長崎「平和の泉」手記つづる
・ 橋口幸子さん死去 長崎平和公園碑に手記

橋口幸子さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

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