玉賢三さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた89年

[おくやみ]玉賢三 氏(グラフィックデザイナー)89歳 2016年11月2日逝去

[お偲び] 玉賢三 氏(グラフィックデザイナー)

玉賢三(たま・けんぞう)さん
命日: 2016年11月2日 2時
(新潟県新潟市の病院で)
年齢: 89歳
出身: 岐阜県高山市
肩書: グラフィックデザイナー
葬儀: 2016年11月13日
会場: セレモニーホール三礼
岐阜県高山市総和町3丁目96
備考:高山祭や高山の伝統芸能をモチーフに長年グラフィックデザインの制作を続け、高山市の観光用ポスターやパンフレットなどを数多く手掛けた。2009年に県芸術文化顕彰。
参照:
・ 訃報(岐阜県関連)2016年11月

玉賢三さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

追悼の言葉があります

  1. 玉先生、旅立たれてから7年が経ちましたね。過日、かつての先生のお宅、高山市本町のデザインルームにお邪魔しました。現在は、若いアーティストさんたちが、お宅を有効利用されていました。「先生のアトリエは、そのまま残してあります。ご覧になりますか」とのお言葉に甘えて、2階のアトリエに。若いアーティストさんの仕事場の一角、本町通りに面した小さな空間、窓に向かって机、椅子、座布団、右手に書棚、本、壁にはお面の飾り、机上には使いかけのインク、ペン、筆など、雑然と、無造作に、だけど全てが先生のお仕事の途中であるかのように、そのままで、全てがセピア色の世界で、懐かしくて愛しくて、泣いてしまいました。
    先生がそこに座っていらして、窓から見える景色や町の音を聴きながら、デザインを創造していらっしゃるお姿が見えるようでした。
    一回だけ、先生にこのアトリエに通していただいたのは、今から40数年も前のことですね。ほんとうに懐かしいです。
    初めて先生におあいしたのは、19歳、私はまだ子供で、世間知らずで、感謝知らずで、先生にたくさんのことをご指導いただきながら、今思うと、とても恥ずかしいです。
    先生はお忙しい中、年賀状にいつも近況をお知らせくださったり、私へのお心のこもったお言葉を添えてくださいましたね。いただいた賀状は私の宝物ですよ。先生の絵、イラスト、先生らしいスマートな文章、ハンサムな文字、見るたび、読むたび、お優しいお人柄がしのばれます。
    先生、逢いたいです。
    逢いたいです。


    荒井惠子
    供花(カラー)

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