藤原隆文さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた64年

[おくやみ]藤原隆文 氏(宝塚市身体障害者福祉団体連合会 会長)64歳 2015年3月5日逝去

[お偲び] 藤原隆文 氏(宝塚市身体障害者福祉団体連合会 会長)

藤原隆文(ふじわら・たかふみ)さん
命日: 2015年3月5日
年齢: 64歳
肩書: 宝塚市身体障害者福祉団体連合会 会長
葬儀: 2015年3月7日
会場: 公益社宝塚会館
兵庫県宝塚市小浜2丁目2−63
備考:1980年から同連合会員として障害者の生活向上のための活動に尽力し、10年から同会長。
参照:
・ 訃報:藤原隆文さん 64歳=宝塚市身体障害者福祉団体連合会長 /兵庫

藤原隆文さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

追悼の言葉があります

  1. 入院されていると知ってメールを送りましたが、お返事がないままお見舞いにも行かないでごめんなさい。
    ひげを生やした車いすの藤原さんを知ったのは30年くらい前で、大上さんと話しておられたときです。それから福祉センターやぷらざこむでお見かけしましたが、直接話すことはありませんでした。
    私が仕事を辞めて間もなく、おあや座に入ると、そこに団員として藤原さんがおられ、『よろず先生奮闘記』では、患者の藤原さんが歌う「潮来笠」に合わせて踊りました。歌が好きでお上手でした。『犯人は誰だ』では、藤原さんのとんちで、私は犯人であることがばれてしまいました。
    いつだったか、稽古の帰りに一緒にご自宅近くまで歩き、2歳のときに小児まひで歩けなくなり、以来車いす生活だということを知りました。
    車いすでバスにも軽々と乗られ、「こうでないと飲みに行かれへんやん」と笑っておられました。その日はソリオのお店で一緒にお昼を食べました。「一人暮らしやから外食ばかりで、なじみの店や」と言ってさっさと入って行かれたのが印象的でした。
    私より少し若くて、いつも明るくユーモアがあって、多くの人に話しかけ、話しかけられていた藤原隆文さん。ご冥福をお祈りします。


    匿名
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