関平和さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた64年

[おくやみ]関平和 氏(金沢大学 教授)64歳 2016年9月21日逝去

[お偲び] 関平和 氏(金沢大学 教授)

関平和(せき・ひらかず)さん
命日: 2016年9月21日 9時45分
(石川県津幡町の病院で)
年齢: 64歳
出身: 長野県
肩書: 金沢大学 教授
備考:専門は環境解析学。
参照:
・ 関平和・金沢大教授死去

関平和さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

3つの追悼の言葉があります

  1. 謹んでお悔やみ申し上げます。未利用の竹を活用する先駆の
    先生、存命中にお会いしてお話をお聞きしたかったのですがとても残念です。安らかに。


    大石 誠一
    供花(カラー)
  2. 関君へ

    昭和46年にさかのぼる。学生寮二つにそれぞれ寄宿していた。
    コイン電話機が寮に1台、あとは街角に公衆電話ボックスがあり
    固定電話の時代。 昭和50年から2年間、平井教授研究室で机を並べていた仲で
    勉学一本の自分に比べて、貴君は借金をしてでも付き合いを大事にしていたね。
    少額(奨学)金とアルバイトのみが原資の自分を知っていたのは教室では君だけではなかったか。
    長野の御実家から送ってきたといって、もらって食べたリンゴうまかった。
    自分は就職、君は教室に残り学職の道に、それぞれ分かれて思えば43年。
    その間2度3度母校行事時に会ったきりになってしまった。

    お互いにだいそれた話をした覚えもなし。数に勝るサラリーマン族の基準からみれば
    教授に上り詰めた君の勝ちではないか。 まだ踏ん張るもよし、定年を迎えあとは余生をのんびりと
    するもよし。 訃報も知らず思えば、その時期、小諸市近郊の工場建設に従事しておりました。
    いずれそちらに参りますが、また化学工学数学を一緒に勉強しましょう。


    川口 栄
    供花(カラー)

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供花(カラー)