水谷修さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた82年

[おくやみ]水谷修 氏(名古屋外国語大学 前学長)82歳 2014年12月20日逝去

[お偲び] 水谷修 氏(名古屋外国語大学 前学長)

水谷修(みずたに・おさむ)さん
命日: 2014年12月20日 11時33分
(東京都渋谷区の病院で)
年齢: 82歳
出身: 愛知県名古屋市
肩書: 名古屋外国語大学 前学長
葬儀: 2014年12月24日
会場: 羅漢会館
東京都目黒区下目黒3丁目19−1
備考:専門は日本語教育学。
参照:
・ 前名古屋外国語大学長の水谷修さん死去
・ 水谷修氏死去(名古屋外国語大前学長・日本語教育学)

水谷修さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

追悼の言葉があります

  1. 水谷修先生は長年来、世界中の日本語学習者と教授者・研究者に愛される方でいらっしゃいます。先生の存在は現代の日本と世界の日本語教育そのものと等身大であると言っても過言ではなく、先生がお亡くなりになられたことは世界の日本語教育にとっても多大な損失となります。先生の学識は言うまでもなく、先生の優しくて暖かい人格は世界中の日本語学習者に勉学する勇気を与えられ、多くの学生にとって、先生の笑顔と一挙手一投足はまさに人生の道しるべとなり、皆さんを励ましておられます。
    昨日(20日)、出張の合間を縫って、10時半頃、渋谷のセントラル病院分院の606室で、お亡くなりになられる直前の先生と最後の対面のチャンスに恵まれましたが、意識が混沌とされていた先生は呼吸器が付けられ、重い呼吸が続きますが、学生の私のかける言葉には、いつものようにユーモアたっぷりに諭しながら返して下さることなく、悲しみが心底から込みあげてたまりませんでした。
    11時ごろ、長居してはいけないと思い、お一人で寂しく昏睡しておられる先生を後にして、病室を離れましたが、まさか、これは先生との永別となるとは夢にも思いませんでした。
    2014年12月20日11時33分、これは水谷修先生が天国へ発たれる時刻でした。私が病室を出た直後でした。諸般の仕事が終わり、今日の飛行機で午後に中国に戻ったのですが、名古屋外国語大学の先生からのお知らせと日経新聞の訃報でそれを知りました。
    中国からまたすぐには出かけられませんので、23日のお通夜と24日の葬儀には参列することができず、非常に残念です。
    ここに謹んで水谷修先生のご冥福をお祈りいたします。


    匿名
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