二瓶義喜さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた89年

[おくやみ]二瓶義喜 氏(西会津町 元教育長)89歳 2015年7月31日逝去

[お偲び] 二瓶義喜 氏(西会津町 元教育長)

二瓶義喜(にへい・よしき)さん
命日: 2015年7月31日
年齢: 89歳
肩書: 西会津町 元教育長
葬儀: 2015年8月4日
会場: 神保セレモニーホール扇町 天恵苑
福島県会津若松市扇町38
参照:
・ みんゆうNet : 福島県内のおくやみ情報

二瓶義喜さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

追悼の言葉があります

  1. ご逝去の報に接し 心からお悔やみ申し上げます。

    思い起こせば 、二瓶先生が66年前の 昭和24年に 鶴城小学校5年生の担任として、最初に受け持たれた生徒13人が、一昨年4月に 先生の「88歳米寿のお祝い」に
    全国から 馳せ参じたのは、 将に 先生を敬愛し 慕っての、 木下恵介の「二十四の瞳」ならぬ、 現代版「二十六の瞳」でした。

    当時は終戦後の多難の時期で 物資に乏しく 給食は コッペパンに粉ミルク、冬の雪深い会津で 下駄に足袋でした。

    そのような時に 先生は廣く暖かい心で 子供の心を優しく 依怙贔屓なく 包み込んで
    導かれた 真の恩師だったのです。

    私の場合、 父がシベリアに抑留されて五年間消息不明の時に、北朝鮮(平城・ピョンヤン)から引き揚げて不遇の時に、父親代わりになって 苛められぬように 気を配って戴きました。
    先生の言葉で 印象的に残っているのが、「ひとかどの人間になれ」でした。

    この七月に 、たまたま NHKの「歴史秘話 日本刀」で 私の曽祖父 11代古川兼定が放映されたのを、 電話口で 「面白かったよ」 「元気に生きているよ」と 言われた
    お言葉が まだ 耳に残っております。

    本当に長い間 「人の道」のご指導 ありがとうございました。

    どうか 安らかに ご永眠ください。

                                 古川武郎  

     


    古川武郎(二瓶先生の最初の教え子 77歳)
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