三浦祐一さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた64年

[おくやみ]三浦祐一 氏(青森市新町商店街振興組合 理事長)64歳 2016年12月13日逝去

[お偲び] 三浦祐一 氏(青森市新町商店街振興組合 理事長)

三浦祐一(みうら・ゆういち)さん
命日: 2016年12月13日 20時
(青森県青森市の病院で)
年齢: 64歳
出身: 青森県青森市
肩書: 青森市新町商店街振興組合 理事長
備考:葬儀は家族葬で執り行われる。
偲ぶ会:
2017年1月21日
青森国際ホテル
参照:
・ 三浦祐一氏死去/青森市新町商店街振興組合理事長

三浦祐一さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

2つの追悼の言葉があります

  1.  早すぎます。もう、あの パティシェ三浦の御姿は 見られないのですね。
    心から ご冥福をお祈り致します。
     天国で 欧米の名パティシェに負けない美味しいケーキを作つて下さい。
                                 青森市稲門会会員 T 拝


    匿名
    供花(カラー)
  2.  練馬区豊玉南の双葉コーポが出会いの場所だった。空手の三浦と少林寺の私とはなぜか気が合い連日飲み歩いた。おふくろという店ではだるまをよく飲んだ。キッチンカナリアにもよく行った。近所の定食屋ではお互いうまいと言いながら生のたらこと納豆をよく食べた。三浦君はよく下駄を履いていた。加藤隼航空隊をよくうたっていた。私の実家の宇治にも泊まりに来た。父親がお礼にと昆布羊羹を贈ってくれた。羊羹屋の若旦那だった。新宿カンタベリーハウスでは三浦君が店員の態度に腹を立てスタンド付きの灰皿を蹴って大乱闘がはじまり流血事件となった。一緒にいた藤田と3人でタクシーで帰った。次の日顔がはれていて学校を休んだ。卒業前に大名旅行しようと修善寺温泉に行った。ストリップをみた。新婚時代には堺の新居に泊まりに来た。よく食べる人だったと妻も記憶していた。私が昭和51年に会社に入ってからも文通がつづき菓子学校に行っていると知らせてくれた。


    谷口秀夫
    供花(カラー)

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