備考:本名は輪島博(わじま・ひろし)。
金沢高校1年で国体優勝。日大へ進み、2年連続学生横綱など4年間で14のタイトルを獲得した。花籠部屋へ入門し、1970年初場所、幕下60枚目格付け出しで初土俵。2場所連続の幕下全勝優勝で十両、十両を4場所で通過して、初土俵から1年となる71年初場所で新入幕を果たし、「蔵前の星」といわれた。入幕9場所目の72年夏場所で初優勝。72年秋場所後に、同世代の貴ノ花とともに大関に昇進した。73年夏場所で全勝優勝を果たし、場所後に第54代横綱に推挙された。初土俵からわずか3年半のスピード出世だった。学生相撲出身の初の横綱で、本名で横綱になった力士も初めてだった。横綱時代はトレードマークとも言える金色のまわしや、得意の左下手投げから「黄金の左」と呼ばれ、天性の運動神経と相撲勘の良さを生かした取り口で、ライバルの横綱北の湖とともに「輪湖時代」を築き、貴ノ花、魁傑らとともに角界を盛り上げた。81年春場所で引退し、通算成績は673勝234敗85休。優勝14回は歴代7位。花籠部屋を継承したが、金銭トラブルから85年12月に日本相撲協会を退職。その後はプロレスラーに転身して、ジャイアント馬場の門下で2年ほど活動。プロレス引退後はアメリカンフットボールのチームで総監督を務めるほか、タレントとしてテレビ出演などもしていた。
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