[お偲び] 岩部一道 氏(高倉小学校 元校長) |
岩部一道(いわべ・かずみち)さん | |
命日: | 2021年9月2日 |
年齢: | 66歳 |
肩書: | 高倉小学校 元校長 |
葬儀: | 2021年9月6日 |
会場: |
開成斎場
福島県郡山市開成3丁目6−24 |
備考:安積二小、大田小、須釜小、宮本小の校長を務めた。 | |
参照:
・ 岩部 一道氏(いわべ・かずみち=元高倉小校長) |
[お偲び] 岩部一道 氏(高倉小学校 元校長) |
岩部一道(いわべ・かずみち)さん | |
命日: | 2021年9月2日 |
年齢: | 66歳 |
肩書: | 高倉小学校 元校長 |
葬儀: | 2021年9月6日 |
会場: |
開成斎場
福島県郡山市開成3丁目6−24 |
備考:安積二小、大田小、須釜小、宮本小の校長を務めた。 | |
参照:
・ 岩部 一道氏(いわべ・かずみち=元高倉小校長) |
岩部先生の訃報を今、知りました。大変に驚いています。私は先生が教員を始めた福島市立鎌田小学校の卒業生です。当時の事を思い返しています。私を含めクラスメートは、出来の悪い生徒でした。先生には、相当な迷惑をかけてしまった事が悔やまれてなりません。それは何名かの生徒が万引きをした事です。それがバレた時の先生のショックは、どれほど大きかったか。私達は先生の顔を潰してしまったし、また教育をする難しさを痛感させてしまった事に間違いないでしょう。先生には心より謝罪します。また、先生は鎌田小学校にサッカー部を作ってくれました。その時、運動神経に優れていた私にサッカー部に入るように言ってくれました。私もサッカー部に入ろうと思っていました。ただその数年前から部落のソフトボールをやっていたのでソフトボールとサッカーを掛け持ちしたいと先生に聞きました。先生の答えはダメだという事でした。仕方なくサッカー部に入る事は諦めました。それは先に始めていたソフトボールの仲間たちを裏切るような事が出来なかったからです。その時の苦しい想いを小学生の子供だった私は先生に伝える事が出来ませんでした。結局は時間を置き、のちにサッカー部には入りましたが。私が小学校を卒業した翌年、大変な悲劇が待っていました。私の近所に住んでいて鎌田小学校でもサッカー部のチームメイトだったN君の一家が心中で亡くなったのです。N君のお父さんは別の小学校の教員でサッカー部を率いていました。当然、岩部先生とも知った仲でしょう。郡山市出身の岩部先生にとって福島市での数々の大きな出来事。先生は、どんな想いだったでしょうか。最後に月並みではございますが岩部先生お疲れさまでした。そして、有難うございました。それからもうひとつ、迷惑ばかりかけて、申し訳ありませんでした。
匿名
私は2023年11月に投稿して、このサイトを見ると今だに私の投稿が出てきます。今回は直接、岩部先生との思い出話という事ではありませんが、このサイトを通じて当時の同級生達に何か伝わり、何かを感じてもらいたいと思い投稿します。私達同級生は、今年で55歳になります。何気なく何ヵ月前に同級生の名前を検索してみると3月に亡くなったと出てきました。100%本人と断定は出来ませんが年齢や喪主が兄という事を鑑みると彼であると思います。名前を出す事が問題有るのか分からないので、仮にS藤秀明君とします。岩部一道先生の時も大変なショックを受けましたが、今回のS藤君もショックを受けています。彼もまた岩部一道先生が作ったサッカー部のチームメートだったし、普段からの遊び仲間でもあったので。S藤君の事で一番忘れらないのが、サッカーの試合でS藤君がシュートをしたボールが、ゴールネットを安定させる為に、ゴールポストの端に砂袋が置いてあり、その砂袋に当たり、ゴールが認められなかったのを、試合が終わった後、悔しくて、ずっと泣いていた事です。当時私は、何事にも、それほどの思い入れもなく、熱い気概も有りませんでした。だからかもだ知れませんが、あの時のS藤君の悔し涙を見て何か感銘を受けたというか、何かを感じました。小学生の子供が、衝撃を受けたり、何かに感動したりする事は計り知れない重みが有ると思います。まさにその時、S藤君から感じました。またこのS藤君も、前回投稿した時の万引き仲間でもあったのです。この事件が明るみになり、それなりの処分を受けると、なぜだかS藤君と私の関係は終りを迎えたのです。あれだけ仲良く付き合っていたのが、お互いがまるで無視しあうかのようになったのです。当時の私は、よく言えば自由奔放。悪く言えば人の事など何も考えてない。そんな私の言動で沢山の同級生の心に傷をつけてしまいました。そんなむくいなのか、小学校を卒業して中学校に入学する間の時期に、私は生涯忘れられない体験をしました。遊びから家に帰って来ると、5人の人間が待ち構えていて、私を近くのアパートの裏に連れて行きました。そこで、当時の言葉で言えばヤキを入れられました。5人の内の3人は1学年上で2人は近所の同級生。終始1学年上の3人は、私に因縁を付け、今にもぶん殴るぞという状況でした。私が大変なショックを受けたのは、そんな事よりも同級生の2人が、私を変な物を見る目で見て口元がにやけていた事です。この事があって私は、心に病を抱えたまま中学校に入学する事になるのです。この時の同級生の1人は、小学生のクラスメートで、もう1人は弱いものイジメが得意なガキ大将でした。この時に体験したトラウマで、どうしても出来なかった事が有ります。ここに投稿した理由にもなりますが。私は2016年の岩部先生の退職祝いも兼ねた同級会に出ませんでした。全ては、ヤキを入れられた時にいたクラスメートに対してのトラウマがあったからなのです。そして、そのトラウマは今だに続いています。あの時の5人から受けた、ヤキは夢に出てくるのです。結局、この時の事で同級生のガキ大将からは、計り知れない圧力をかけられ、常に頭の中は真っ白な状態でした。やがて、それがノイローゼという形になります。ここで私の経験上、言いたい事が有ります。義務教育だからといって、必ずしも子供を学校に行かせるのは、間違っています。学校に行かせた事によって、将来が無くなったり、辛い思いをしたりする事も有るのです。子供の将来に、どうするのが一番良いのか親は充分に考えなくてはなりません。岩部先生、同級会に出席出来なくて本当にすいませんでした。S木真一より。
匿名