[お偲び] 吉田文雀 氏(人形浄瑠璃文楽の人形遣い、人間国宝)

吉田文雀(よしだ・ぶんじゃく)
生誕: 1928年6月8日
命日: 2016年8月20日 21時12分
(兵庫県西宮市の病院で)
年齢: 88歳
出身: 東京都
肩書: 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、人間国宝
葬儀: 2016年8月24日
会場: 公益社 西宮山手会館
兵庫県西宮市城ケ堀町1−40
備考:本名は塚本和男(つかもと・かずお)。
芝居好きの父親に連れられて幼い頃から大阪・四ツ橋にあった文楽座の楽屋に出入りし、太平洋戦争末期の人手不足の折に舞台に駆り出されたのをきっかけに入座。1945年に文楽に入門し、文楽人形遣いの二代吉田玉市に師事して技を磨き、初舞台。和夫を名乗った。50年に三代吉田文五郎門下となり、師匠の名前と親しかった歌舞伎俳優の二代目中村扇雀さん(現坂田藤十郎さん)の名前から1字ずつ取って、文雀と改名した。深い解釈に基づいた渋みのある堅実な芸風と、抑制のきいた演技には定評があった。「摂州合邦辻」の玉手御前、「芦屋道満大内鑑」の葛の葉など女形を得意にし、とりわけ「菅原伝授手習鑑」の覚寿など老女役で高い評価を得た。「曽根崎心中」のお初など若くて色気のある人形の遣い手としても高く評価された。一方で「菅原伝授手習鑑」の桜丸など立ち役にも定評があった。精緻かつ品格のある心情表現にたけた芸が多くのファンを魅了した。その他の代表作に「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬、「心中天網島」のおさん、「良弁杉由来」の渚の方など。あらゆる浄瑠璃に精通し「文楽の生き字引」「文楽博士」ともいわれた。役に従って人形の頭部の首を決める「首割」を半世紀にわたって担当。文楽の振興や普及にも貢献した。吉田和生さんら後進の育成にも力を注いだ。2016年3月、高齢を理由に引退。最後の舞台は15年1月の大阪・国立文楽劇場の初春公演「花競四季寿」の「関寺小町」だった。88年に芸術選奨文部大臣賞、91年に紫綬褒章。94年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。監修・解説を手がけた本に「文楽のかしら」がある。
参照: ウィキペディア
・ 文楽人形遣いの吉田文雀さんが死去 人間国宝
・ 文楽人形遣いの吉田文雀さん死去 人間国宝、3月に引退
・ 吉田文雀さん88歳=人形浄瑠璃文楽の人形遣い

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