[おくやみ]大城立裕 氏(作家)95歳 2020年10月27日逝去

[お偲び] 大城立裕 氏(作家)

大城立裕(おおしろ・たつひろ)氏
命日: 2020年10月27日 11時10分
(沖縄県中頭郡北中城村の病院で)
年齢: 95歳
出身: 沖縄県中頭郡中城村
肩書: 作家
葬儀: 2020年10月30日
会場: いなんせ会館
沖縄県浦添市伊奈武瀬1丁目7−1
備考:第2次世界大戦中に中国・上海の東亜同文書院に留学し、敗戦に伴う大学閉鎖で中退。戦後に帰郷し、米軍施政下の琉球政府通産局通商課長や沖縄県立博物館長などを務める傍ら、小説を執筆した。本土復帰前の67年、米国統治下の沖縄を舞台に、米兵による少女暴行事件を通して国際親善の欺瞞を暴く「カクテル・パーティー」で沖縄の作家として初めて芥川賞を受賞。米国統治下の沖縄と戦中の中国を重ね、被害だけでなく加害者としての自分も告発した。68年には、明治政府が琉球を日本に組み込んだことを取り上げた「小説琉球処分」を出した。復帰後は県庁職員の傍ら執筆を続け、県立博物館長も務めた。「まぼろしの祖国」「天女死すとも」などを発表。93年には戦時中の沖縄の刑務所を題材にした「日の果てから」で平林たい子文学賞を受けた。2002年には、沖縄の作家としては初めての本格的な個人全集(全13巻)が刊行された。米軍普天間飛行場の県内移設を、明治政府の沖縄県設置強行、敗戦による米国への施政権引き渡しに続く「第3の琉球処分」と強く批判した。11年には、この問題をテーマにした短編集「普天間よ」を出版。3世代の登場人物を介して基地返還を政治問題ではなく、沖縄人のアイデンティティーを取り戻すこととして描いた。15年、「レールの向こう」で川端康成文学賞を受けるなど、創作意欲は衰えなかった。琉球王国の宮廷芸能だった歌舞劇「組踊」などの伝統芸能の継承発展のため、04年に開館した「国立劇場おきなわ」の活動にも協力し、開館を記念する「真珠道」など新作を執筆。沖縄方言の「最後のネイティブスピーカー」との責任感から、これまでなかった喜劇や、沖縄戦を描く組踊も書いた。沖縄の歴史や文化、伝統に根差した小説や戯曲など執筆し、発表してきた。
参照:
・ 大城立裕氏が死去 沖縄初の芥川賞作家
・ 芥川賞作家の大城立裕さん死去 作品で沖縄を問い続ける
・ 大城立裕氏死去 芥川賞作家

追悼の言葉を残す

供花(カラー)