[お偲び] 羽田孜 氏(政治家、元首相) |
羽田孜(はた・つとむ)氏 | |
生誕: | 1935年8月24日 |
命日: |
2017年8月28日 7時6分 (東京都内の自宅で) |
年齢: | 82歳 |
出身: | 東京都 |
肩書: | 政治家、元首相 |
葬儀: | 2017年9月8日 |
会場: |
青山葬儀所
東京都港区南青山2丁目33−20 |
備考:1958年、成城大経済学部を卒業後に小田急バスに入社。衆院議員だった父武嗣郎氏を継ぎ、69年の衆院選で旧長野2区から自民公認で初当選。小選挙区制導入後は長野3区で当選を重ね、2012年に引退するまで当選14回。故田中角栄、故竹下登両元首相に師事。故橋本龍太郎、故小渕恵三両元首相、当選同期の小沢一郎氏らとともに「竹下派七奉行」と呼ばれ、農林水産相や蔵相などを歴任。故金丸信・竹下派会長のヤミ献金問題に端を発した竹下派分裂で小沢氏とともに92年12月、羽田派を結成した。93年6月、羽田派は宮沢喜一内閣不信任案に賛成し、新生党を結成。羽田氏は党首となり、衆院選後に誕生した細川護熙首相の連立内閣に参画して副総理兼外相を務めた。細川首相退陣後の94年4月、第80代首相に就任したが、政権内の対立で社会党が連立から離脱し、少数与党となり、同年6月に内閣不信任案が可決される見通しとなったため総辞職した。首相在任は64日間で、戦後2番目の短命政権だった。その後は新進党に参加。小沢氏と対立が深まり、96年12月に太陽党を結成。民政党を経て98年4月に民主党に合流。幹事長や特別代表を務めた。小沢氏の自由党と民主党が03年に合併し、再び行動を共にした。温和な人柄を生かした調整型で、金丸氏から「平時の羽田、乱世の小沢」と評された。自民党の頃に小選挙区制導入を唱えて「ミスター政治改革」と呼ばれた。民主党政権では最高顧問を務め、羽田グループを率いていた。2012年の衆院選に出馬せず、政界を引退。13年春の叙勲で桐花大綬章を受章した。オイルショックを機に考案された半袖ジャケット「省エネルック」の着用を続け、夏場の軽装「クールビズ」の先鞭をつけたことでも知られる。民進党の羽田雄一郎元国土交通相は長男。 | |
お別れの会:
2017年12月10日 上田東急REIホテル | |
参照:
ウィキペディア
・ 羽田孜・元首相が死去 82歳、非自民連立政権担う ・ 羽田元首相が死去、82歳=在職64日、現行憲法で最短 ・ 故羽田孜元首相のお別れの会 |