[お偲び] 野中広務 氏(政治家、元内閣官房長官)

野中広務(のなか・ひろむ)
生誕: 1925年10月20日
命日: 2018年1月26日 16時11分
(京都府京都市の病院で)
年齢: 92歳
出身: 京都府
肩書: 政治家、元内閣官房長官
備考:葬儀は近親者で施行。喪主は河合純(かわい・じゅん、娘婿)さんと河合多恵子(かわい・たえこ、長女)さん。
国鉄職員を経て、園部町議、同町長を務めた後、京都府議となり、野党の立場で革新府政の蜷川虎三知事と対峙。保守府政奪還後に京都府副知事を務めた。中央政界入りは57歳と遅く、1983年の旧衆院京都2区補欠選挙で自民党から立候補し初当選。衆院議員を7期務めた。自民党が下野した細川、羽田両内閣時代に、野党府議の経験を生かし衆院予算委理事として政権追及に活躍。自民、社会、さきがけ3党連立の村山内閣誕生の立役者となった。村山内閣では自治相・国家公安委員長として、阪神大震災や、地下鉄サリンなどオウム真理教による一連の事件への対応に当たった。参院選惨敗を受けて98年7月に発足した小渕内閣では官房長官に就任。政権基盤強化のため、旧竹下派分裂以来、宿敵関係にあった小沢一郎氏率いる自由党との自自連立、さらに公明党を加えた自自公連立の樹立へ抜群の行動力を発揮し、「影の総理」と形容された。森喜朗内閣で党幹事長を務めた。加藤紘一元幹事長らが野党提出の内閣不信任決議案に同調しようとした2000年の「加藤の乱」では鎮圧に当たった。小泉内閣に対し反主流の立場を貫き、03年の総裁選では小泉純一郎首相の再選を支持した青木幹雄氏らと対立。同年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。抜群の政局観と情報量で政敵から「政界の狙撃手」と恐れられた一方、外交や安全保障に関してはハト派で知られた。97年4月の駐留軍用地特別措置法改正の際、担当委員長として衆院本会議で「国会審議が大政翼賛会にならないようお願いする」と異例の発言を行った。03年7月にはイラク支援特別措置法の採決を退席した。中国共産党と独自のパイプを持ち、同国との議員交流にも取り組んだ。11年に自民党を離党したが、16年6月に復党。引退後もテレビや講演などで「ご意見番」として活動を続けていた。
お別れの会:
2018年4月14日
ホテルグランヴィア京都「源氏の間」
実行委員長:二階俊博 さん
(自由民主党 幹事長)
参照: ウィキペディア
・ 野中広務氏が死去 元官房長官、92歳
・ 野中広務氏死去、92歳=「政界の狙撃手」、官房長官など歴任
・ 故野中広務氏(元官房長官、元自民党幹事長)のお別れの会
・ 故野中広務氏(元官房長官、1月26日死去)のお別れの会

追悼の言葉があります

  1. 引退され奥様のお見舞いに通われていた病院で、タクシーがなく夜に困っていた私にタクシーに載せて下さり駅まで送って下さいました。短い時間ではありましたが、たくさんお話して下さり、温かい気持ちになり帰りました。ありがとうございました。


    匿名

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