野田之一さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた87年

[おくやみ]野田之一 氏(四日市公害訴訟原告)87歳 2019年1月25日逝去

[お偲び] 野田之一 氏(四日市公害訴訟原告)

野田之一(のだ・ゆきかず)さん
命日: 2019年1月25日 19時21分
(三重県四日市市の高齢者向け住宅で)
年齢: 87歳
出身: 三重県四日市市
肩書: 四日市公害訴訟原告
葬儀: 2019年1月27日
会場: 四日市中央斎奉閣
三重県四日市市芝田1丁目5−31
備考:野田さんら患者9人は1967年9月、石油化学コンビナートが排出する亜硫酸ガスによる大気汚染がぜんそくの原因として、企業6社に損害賠償を求めて津地裁四日市支部に提訴。同支部は72年7月に企業側の責任を認定して賠償を命じ、一審で勝訴が確定した。
参照:
・ 野田之一氏が死去 四日市公害訴訟元原告
・ 野田之一さん死去=87歳、四日市公害訴訟原告

野田之一さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

2つの追悼の言葉があります

  1. 授業で四日市市の公害について調べたときに、野田さんについて知りました。未来のために戦っていただいてありがとうございました。
    ご冥福をお祈りいたします。


    匿名
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