備考:葬儀はロック葬として施行。
「めんたいロック」草分けの1人として1970年代から活躍。1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成。74年に九州大を卒業して翌75年にメジャーデビューを果たした。リードギタリスト兼作曲家を78年のバンド解散まで担当した。サンハウス時代に演奏を聴きに来たシーナ(悦子さん)と出会い、シーナの妊娠を機に76年に結婚。双子の女児のパパとなった。78年に夫婦で上京し、シーナ&ロケッツを結成。「涙のハイウェイ」でデビュー。79年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)メンバーのサポートを受けてアルバム「真空パック」を発表し、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレークを果たした。80年のYMO初の国内ツアーにはゲスト・ギタリストとして参加し、81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。88年には米ニューヨークのCBGBでライブデビューを果たすなど、海外にもその名をとどろかせた。しゃがれたパワフル声が持ち味。他に「レモンティー」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」などをヒットさせた。2015年に最愛の妻シーナさんに先立たれたが、シーナさんの遺志でバンド活動の継続を明言。鮎川さんがボーカルを務め、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とトリオで全国を回った。音楽だけでなく、俳優としても存在感を発揮。フジテレビ「愛情物語」(93年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)には那覇在住のロックの師匠役で出演。08年には「ジャージの二人」で堺雅人の父親役を演じた。長女はモデルの鮎川陽子(46)、次女の鮎川純子(46、JUNK THE RIPPER)と三女の知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活躍中。
|