[おくやみ]アントニオ猪木 氏(「燃える闘魂」、元プロレスラー)79歳 2022年10月1日逝去

[お偲び] アントニオ猪木 氏(「燃える闘魂」、元プロレスラー)

アントニオ猪木(あんとにお・いのき)氏
命日: 2022年10月1日 7時40分
(自宅で)
年齢: 79歳
出身: 神奈川県横浜市
肩書: 「燃える闘魂」、元プロレスラー
備考:本名は猪木寛至(いのき・かんじ)。葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
中学生の時に一家でブラジルに移住。1960年、遠征したプロレスラーの力道山にスカウトされて17歳の時に日本プロレスに入団した。「コブラツイスト」「卍(まんじ)固め」「延髄斬り」などを得意技にジャイアント馬場、ザ・デストロイヤーらとともにプロレスブームを巻き起こした。72年に新日本プロレスを設立。タイガー・ジェット・シンら外国人選手との抗争や日本人トップ同士の対決、柔道や空手など他の格闘技の一流選手と対決する「異種格闘技戦」といった斬新な企画に挑戦した。76年にはプロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリさんとの「格闘技世界一決定戦」も実現した。89年にはスポーツ平和党(当時)から出馬し参院選に初当選。湾岸危機の際、90年にイラクを訪問して日本人人質の解放に尽力した。95年の参院選で落選し、プロレスは98年に現役を引退した。2013年の参院選に日本維新の会から立候補して当選、18年ぶりに国政に復帰した。独自のパイプを持つ北朝鮮に何度も足を運んで親善活動に取り組んだ。19年に政界を引退した。「元気ですか!」「1、2、3、ダー!」のフレーズや「闘魂ビンタ」で活を入れるパフォーマンスでも人気を集めた。20年に心臓の病気「心アミロイドーシス」を患っていることを公表していた。
お別れの会:
2023年3月7日
両国国技館
主催:猪木元気工場(IGF)、新日本プロレス
発起人 代表:坂口征二 さん
(新日本プロレス 相談役)
参照:
・ アントニオ猪木さん死去 79歳、元プロレスラー
・ アントニオ猪木さん死去、79歳 「燃える闘魂」、元参院議員
・ アントニオ猪木さん、お別れの会開催
・ アントニオ猪木さん「お別れの会」…弟の啓介さん「兄の感謝の思いを届けたい」…3・7両国国技館

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