[おくやみ]ジャニー喜多川 氏(ジャニーズ事務所 社長)87歳 2019年7月9日逝去

[お偲び] ジャニー喜多川 氏(ジャニーズ事務所 社長)

ジャニー喜多川(じゃにー・きたがわ)氏
命日: 2019年7月9日 16時47分
(東京都内の病院で)
年齢: 87歳
出身: アメリカ合衆国ロサンゼルス
肩書: ジャニーズ事務所 社長
備考:葬儀は近親者で施行。本名は喜多川擴(きたがわ・ひろむ)。
1931年、僧侶だった父親の活動の関係で、米ロサンゼルスで生まれた。戦後、10代で、同地で行われた美空ひばりや笠置シヅ子らの公演を手伝ったことを契機にショービジネスの基礎を学び、芸能界への足掛かりを得た。朝鮮戦争に米軍の一員として参加。米大使館関係の通訳を務めた後、日本でバンド活動などをする傍ら、コーチをしていた少年野球チームのメンバーからあおい輝彦さんら男性4人組グループ「ジャニーズ」を結成させ、62年にマネジメントのためジャニーズ事務所を設立。70~80年代にかけてフォーリーブスや郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJIら時代を代表する人気タレントが次々と輩出。日本の歌謡界で歌って踊れる「男性アイドル」というジャンルを定着させた。その後、世に送り出したSMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、Hey!Say!JUMP、関ジャニ∞、King&Princeなどがヒット曲を連発。テレビのドラマやバラエティー番組も席巻し、マルチタレントとして幅広い世代から支持を集めることに成功。時代を象徴するタレントを次々に売り出し、姉のメリー喜多川さんとともに同事務所を芸能界を代表する大手プロダクションに育て上げた。堂本光一が主演したミュージカル「SHOCK(ショック)」シリーズなど、所属アイドルの舞台やコンサートの企画、演出にも積極的に取り組んだ。2003年には菊田一夫演劇賞特別賞を受賞。11年9月にはギネスワールドレコーズ(ギネス世界記録)が「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」に認定した。80年代からアジアを中心に世界各地でもコンサートを開催した。表舞台に立つことはほとんどなかったが、数多くの舞台や楽曲のプロデュースや演出でアイドルたちを支えた。
お別れの会:
2019年9月4日
東京ドーム
参照:
・ ジャニー喜多川さんが死去 SMAPなど育てる
・ ジャニー喜多川さん死去 87歳、ジャニーズ事務所創業
・ ジャニー喜多川さん死去=SMAPなど男性アイドル育成、87歳
・ 故ジャニー喜多川さんのお別れの会 ジャニーズ事務所社長
・ 故ジャニー喜多川さんのお別れの会(ジャニーズ事務所社長、7月9日死去)

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