内田裕也(うちだ・ゆうや)氏
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生誕:
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1939年11月17日 |
命日:
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2019年3月17日 5時33分 (東京都内の病院で)
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年齢:
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79歳 |
出身:
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兵庫県 |
肩書:
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歌手、俳優 |
備考:本名は内田雄也(うちだ・ゆうや)。葬儀は近親者で施行。
米国のエルビス・プレスリーに憧れ、1957年、バンドボーイとして音楽活動を開始。ジャズ喫茶で歌手としてならし、自身のバンド「ブルージーン・バップス」を結成。ロカビリーブームの中、59年に日劇ウエスタン・カーニバルでロック歌手として本格デビュー。尾藤イサオさんらと共に、66年に来日したビートルズの前座を務めた。67年に欧州に渡って海外のロックシーンを体験し、帰国後、音楽プロデューサーとしても活躍した。沢田研二さんらを見いだして後のザ・タイガース結成につなげたほか、自身がプロデュースしたバンド「フラワー・トラベリン・バンド」を海外デビューさせ、カナダでチャートインさせた。70年代には、「日本語ロック論争」として音楽ファンを巻き込んだ論争を巻き起こした。日本のロックシーンをリードし、「ロックンロールってのはただ音楽の名前じゃなくて、生き方のことだ」などと語っていた。73年からは「打倒NHK紅白歌合戦」を掲げて大みそかの夜にオールナイトコンサートを開き、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドや沢田研二さんら、数多くのミュージシャンが参加。後に「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」と名を変え、今も続いている。映画俳優としても活動し、「不連続殺人事件」(77年)に出演したほか、「十階のモスキート」(83年)では主演、「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)では主演と脚本を担当してキネマ旬報主演男優賞などを受賞した。他に「水のないプール」「魚からダイオキシン!!」など過激な作品に主演した。私生活では73年に希林さんと結婚したが、1年半後に別居。その後も40年以上同居することはなかったが、離婚は成立していなかった。91年、東京都知事選に出馬し、政見放送でジョン・レノンの代表曲「パワー・トゥ・ザ・ピープル」などを歌ったことでも知られる。「ロックンロール」が口癖だった。長女はエッセイストの内田也哉子さん、その夫は俳優の本木雅弘さん。
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内田裕也 ロックンロール葬:
2019年4月3日
青山葬儀所
葬儀委員長:田辺昭知 さん
(株式会社田辺エージェンシー 社長)
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参照:
ウィキペディア
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内田裕也さん死去 ロック歌手、俳優
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ロック歌手の内田裕也さん死去 希林さんの死から半年
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内田裕也さん死去=79歳、邦楽ロックの草分け
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故内田裕也さんのお別れの会 ロック歌手、俳優
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ロック歌手故内田裕也さんのお別れの会
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