[おくやみ]北の湖敏満 氏(元大相撲力士、第55代横綱)62歳 2015年11月20日逝去

[お偲び] 北の湖敏満 氏(元大相撲力士、第55代横綱)

北の湖敏満(きたのうみ・としみつ)氏
生誕: 1953年5月16日
命日: 2015年11月20日 18時55分
(福岡県福岡市の病院で)
年齢: 62歳
出身: 北海道有珠郡壮瞥町
肩書: 元大相撲力士、第55代横綱
葬儀: 2015年12月22日
会場: 両国国技館
東京都墨田区横網1丁目3−28
備考:本名は小畑敏満(おばた・としみつ)。密葬は11月26日に執り行われた。12月22日の葬儀は協会葬として施行。
中学1年だった1966年冬に上京し、元大関増位山(初代)が師匠の三保ケ関部屋に入門した。中学生力士として67年初場所で初土俵を踏んだ。「怪童」と呼ばれ、抜群の身体能力を生かした左四つからの寄り、つり、上手投げを武器に当時の最年少昇進記録を次々と更新。71年夏場所に17歳11カ月で新十両、72年初場所は18歳7カ月で新入幕、73年初場所には19歳7カ月で新三役となった。関脇で臨んだ74年初場所で初優勝を遂げ、同年名古屋場所後、55人目の横綱に。21歳2カ月での昇進は、今も最年少記録として残る。その後の数年は、ライバル横綱の輪島と競い合い、「輪湖時代」と呼ばれた。貴ノ花、若三杉(のち横綱2代目若乃花)らとも熱戦を繰り広げた。現在の東京・両国国技館が落成した85年初場所限りで引退した。通算成績は951勝350敗107休で、横綱在位63場所は歴代1位。横綱での白星670勝は歴代1位。「憎らしいほど強い横綱」とたたえられた。幕内での連続勝ち越し50場所は、白鵬が更新するまで昭和以降1位の記録だった。優勝24回は白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に続く歴代5位。その功績から、現役時のしこ名で親方になれる一代年寄となり、北の湖部屋を創設。元幕内巌雄(山響親方)や幕内北太樹らを育てた。日本相撲協会では、指導普及部長、事業部長などを歴任して、2002年2月、理事長に就任。08年9月に弟子の大麻問題で引責辞任したが、12年初場所後、理事長に復帰。相撲協会の公益財団法人移行に力を尽くし、相次いだ不祥事で低迷していた相撲人気の回復に努めた。
参照: ウィキペディア
・ 元横綱・北の湖理事長が死去 62歳
・ 北の湖理事長が死去、62歳 元横綱・優勝24度
・ 北の湖理事長が死去=「怪童」「輪湖時代」、62歳-大相撲
・ 故北の湖日本相撲協会理事長の協会葬

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