[おくやみ]園田博之 氏(政治家、衆議院議員)76歳 2018年11月11日逝去

[お偲び] 園田博之 氏(政治家、衆議院議員)

園田博之(そのだ・ひろゆき)氏
命日: 2018年11月11日 4時35分
(東京都内の病院で)
年齢: 76歳
出身: 熊本県
肩書: 政治家、衆議院議員
葬儀: 2018年11月16日
会場: 林泉寺
東京都港区三田4丁目3−20
備考:喪主は哲也(てつや、長男)さんと桂子(かつらこ、長女)さん。
水産会社勤務、外相を務めた父・園田直氏の秘書などを経て、1986年の衆院選旧熊本2区に無所属で立候補して初当選。義母の園田天光光氏との「骨肉の争い」が関心を集めた。政界再編志向が強く、93年の宮沢内閣不信任決議後に自民党を離党。政治刷新を目指して武村正義氏らと「新党さきがけ」を結党して、同党で中心的な役割を担い、「非自民」8党派による細川政権の誕生につなげた。村山内閣の官房副長官や新党さきがけ副代表、幹事長などを歴任した。99年には自民党に復党。2008年のリーマン・ショック後、党政調会長代理として盟友の与謝野馨経済財政担当相と緊急経済対策を手掛けた。党内で与謝野氏と増税による財政再建論を主導、経済成長重視の「上げ潮派」の中川秀直元幹事長らに対抗した。自民党の野党転落後の2010年には再び離党し、石原慎太郎東京都知事らと第三極を目指して「たちあがれ日本」の結党に加わって党の幹事長を務めた。その後、太陽の党、日本維新の会、次世代の党を経て、15年に再び自民党に復党した。与野党に幅広い人脈を持ち、さきがけが日本新党と統一会派を組んだ経緯から、枝野幸男元官房長官や前原誠司元外相らから慕われた。また、2009年に成立した水俣病被害者救済特別措置法の制定で中心となった。17年の衆院選では比例九州ブロックに転出し、11回目の当選を果たした。
お別れの会:
2018年12月12日
天草市民センター
参照:
・ 園田博之衆院議員が死去 村山内閣で官房副長官
・ 衆院議員の園田博之さんが死去 村山内閣で官房副長官
・ 園田博之氏死去=元官房副長官、76歳
・ 故園田博之氏のお別れの会 衆院議員
・ 故園田博之氏のお別れの会 元官房副長官

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