[おくやみ]大石又七 氏(第五福竜丸 元乗組員)87歳 2021年3月7日逝去

[お偲び] 大石又七 氏(第五福竜丸 元乗組員)

大石又七(おおいし・またしち)氏
命日: 2021年3月7日
年齢: 87歳
出身: 静岡県榛原郡吉田町
肩書: 第五福竜丸 元乗組員
備考:葬儀は近親者で施行。
静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」に乗り組んでいた1954年、太平洋・ビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝。がんなどのさまざまな病気に苦しんだ。第五福竜丸では冷凍士を務めた。退院後は「放射能がうつる」と言われたり、慰謝料が支払われたこともねたみの対象になったりした経験も。故郷の静岡から逃げるように上京し、東京でクリーニング店を営みながらも、被曝者であることを隠し通していた。だが、83年に東京都町田市の和光中学校の生徒に証言を頼まれたのを機に、全国で講演を行うようになった。マーシャル諸島や米国でも証言し、その回数は700回を超えた。原動力になったのは、かつての仲間が若くして亡くなっていくことへのやりきれなさだった。大石さんは自身もわが子の死産を経験し、「訴え続けなければビキニ事件はやがて消えてしまう」と語っていた。福竜丸を知ってほしいと、模型船を作って広島平和記念資料館(広島市)や長崎原爆資料館(長崎市)に寄贈した。「マグロ塚」と刻んだ石碑を東京・築地に設置する活動にも熱心だった。福竜丸がとったマグロは築地の魚市場に出荷されたが市場の検査で放射能が検出され、大騒ぎに。54年当時は福竜丸以外にも延べ約1千隻の漁船から放射能が検知された魚が見つかり、魚は捨てられた。「忘れられている放射能の恐ろしさを後世に伝えたい」と考え、東京都に要望していた。船体を保存している東京・夢の島の「第五福竜丸展示館」を運営する公益財団法人の評議員も務めた。
参照:
・ 大石又七氏が死去 第五福竜丸の元乗組員
・ 第五福竜丸の元乗組員・大石又七さん死去 87歳

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