[おくやみ]山路慎一 氏(レーシングドライバー)50歳 2014年5月26日逝去

[お偲び] 山路慎一 氏(レーシングドライバー)

山路慎一(やまじ・しんいち)氏
生誕: 1964年5月3日
命日: 2014年5月26日
年齢: 50歳
出身: 千葉県野田市
肩書: レーシングドライバー
葬儀: 2014年6月3日
会場: 御殿場平安典礼会館
静岡県御殿場市萩原992−127
備考:1986年、筑波サーキットプロダクションカーレースでデビュー。富士スピードウェイ JSSレースや富士フレッシュマンに参戦する。フレッシュマン参戦時はレース資金を稼ぐべく昼夜問わず働き続ける苦労を重ねた。1990年には、富士フレッシュマンレースのRX-7クラスのシリーズチャンピオンを獲得。1991年にフォーミュラ・トヨタに参戦した。1993年にマカオGPのサポートレースであるギアレースに出場。1994年より全日本GT選手権・SUPER GTに参戦する。1996年からはRE雨宮に加入し、RX-7をドライブ。99年からはGT500クラスのトムスに加入し、2001年SUGOでは優勝。2003年からはふたたびGT300に活動を移すと、03年に1勝、04年には2勝を飾った。その後もRE雨宮やチーム・タイサンなどから多くのレースを戦ってきた。2012年にはポルシェカレラカップジャパンにも参戦している。2009年には神本寿と共に全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)の副審査員を務めたほか、2011年にはD1グランプリの審査体制変更に伴い正審査員に就任した。
1998年5月3日、富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権の第2戦フォーメーションラップ中の事故で、炎上するフェラーリに閉じ込められた太田哲也を救出する為、車両を降りて、真っ先に消火活動を行った。なお、山路は直前のレースで太田から幅寄せされる形になり、結果的にコースアウト、リタイヤに追い込まれた上にマシンが全損、山路自身も激怒していたという経緯がある。いわば遺恨の相手だった太田を、私事を抜きにして救出した行動には、今なお賞賛の声が高い。
真面目で後輩を手厚く育ててきたことから多くのドライバー、ファン、モータースポーツ関係者に愛された山路だが、近年は体調を崩しており、二度の大病を患っていた。
参照: ウィキペディア
・ JGTCで4勝。レーシングドライバー山路慎一が急逝
・ 山路慎一の説教部屋
・ 山路慎一 (YamajiShin1) - Twitter

3つの追悼の言葉があります

  1. JGTCで太田選手を救出していた姿が一番印象に残っています。
    レースの安全性やドライバーの命を第一に考えてこられた山路慎一さん。
    ご冥福をお祈り致します。


    匿名
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