[おくやみ]杉下茂 氏(元プロ野球選手、元監督)97歳 2023年6月12日逝去

[お偲び] 杉下茂 氏(元プロ野球選手、元監督)

杉下茂(すぎした・しげる)氏
命日: 2023年6月12日 22時18分
(東京都内の病院で)
年齢: 97歳
出身: 東京府東京市神田区(現 東京都千代田区)
肩書: 元プロ野球選手、元監督
備考:帝京商(現帝京大高校)、いすゞ、明大を経て49年に中日に入団した。プロ2年目の50年から6年連続20勝を記録した。日本で初めてフォークボールを投げたことで知られ、「フォークボールの神様」と呼ばれた。明大時代に、同大学の先輩であり、中日入団年に監督になった天知俊一さんにフォークを教えられた。意外にもフォークを多投することはなかったが、その「魔球」には、ライバル巨人の主砲で“打撃の神様”川上哲治も「捕手が捕れない球を打てるはずがない」と言ったという。そのフォークを武器に3年目の51年に28勝13敗で沢村賞と最多勝のタイトルを獲得。中日が初めてリーグ優勝した54年は、32勝をマークし最多勝を獲得したほか、防御率、勝率、奪三振がリーグ1位。完封数7も最多で「投手5冠王」に輝いている。西鉄とのシリーズでも3勝を挙げて日本一に貢献し、シーズン、シリーズの両方でMVPになった。自身3度目の沢村賞も受賞している。55年には国鉄戦でノーヒットノーランも達成している。59年から2年間選手兼任で監督に就任したが、登板はなかった。61年に大毎へ移籍してその年で引退した。引退後の66年に阪神、68年に再び中日の監督に就任。そのほか、大毎、阪神、巨人、西武で投手コーチを務めた。85年には野球殿堂入りした。また、96年から中日春季沖縄キャンプで臨時コーチを務め、90歳を超えても精力的に動いて選手を指導した。通算成績は525試合登板、216勝123敗、防御率2.23。中日での211勝は球団2位の記録。獲得タイトルはMVP(54年)、最優秀勝率(54年)、沢村賞(51、52、54年)、最優秀防御率(54年)、最多勝(51、54年)、最多奪三振(50、54年)。右投げ右打ち。
参照:
・ “フォークボールの神様”杉下茂さん死去 97歳肺炎で 中日のエースとして1954年に球団初の日本一、監督も務める
・ 元中日の杉下茂さん死去、97歳「フォークボールの神様」通算215勝 中日、阪神で監督

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