梅原猛(うめはら・たけし)氏
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命日:
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2019年1月12日 16時35分 (京都府京都市の自宅で)
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年齢:
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93歳 |
出身:
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宮城県仙台市 |
肩書:
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哲学者 |
備考:葬儀は近親者で施行。
旧制第八高等学校(現名古屋大)を経て、1945年京都大文学部哲学科入学後に学徒出陣。戦後復学し、48年に卒業した。卒業後は大学教員の道を進み、立命館大教授などを経て72年に京都市立芸術大教授となり、74年同大学長。60年代から西洋哲学から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。縄文から近代までを視野に収めた独創的な論考は「梅原日本学」と呼ばれ、通説を覆す大胆な論は学界の枠を超え、大きな反響を呼んだ。「地獄の思想」(67年刊)以降、法然や親鸞らにまつわる仏教関連の著述も多い。80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。国際日本文化研究センター(日文研)の創設準備室長に就任し、翌87年から8年間、日文研の初代所長。近年は自然と共存する文明への回帰を見据えた「人類哲学」にも取り組み、出雲神話の成立に関するかつての自説を見直した「葬られた王朝-古代出雲の謎を解く」(2010年刊)が話題を呼んだ。社会的発言も多く、日本人の死生観をもとに「脳死」の考え方に強く反対したほか、イラク戦争や自衛隊の海外派遣の反対、平和憲法擁護なども訴えた。一方で、歌舞伎俳優の三代目市川猿之助(現・猿翁)氏と組んでスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の創作など劇作家としても活動した。また、狂言役者の二世茂山千之丞氏と組んで「スーパー狂言」の原作を、能楽師の梅若実氏と組んで「スーパー能」の原作を手掛けた。90年から92年まで臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)委員、97年から3期6年間、日本ペンクラブ会長を務めた。。2004年には護憲派を結集した「九条の会」の呼びかけ人にも大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんらと共に加わった。11年には東日本大震災復興構想会議の特別顧問となった。74年に大仏次郎賞、92年に文化功労者、99年に文化勲章受章。
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お別れの会:
2019年4月21日
ホテルグランヴィア京都3階「源氏の間」
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参照:
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梅原猛さんが死去 哲学者、独自の古代史論
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哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開
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梅原猛さん死去=哲学者、独自の「日本学」-93歳
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故梅原猛さんのお別れの会 哲学者
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故梅原猛さんのお別れの会(哲学者、1月12日死去)
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