[おくやみ]森崎東 氏(映画監督)92歳 2020年7月16日逝去

[お偲び] 森崎東 氏(映画監督)

森崎東(もりさき・あずま)氏
命日: 2020年7月16日 22時15分
(神奈川県茅ケ崎市の病院で)
年齢: 92歳
出身: 長崎県
肩書: 映画監督
備考:葬儀は近親者で施行。
長崎県島原市に生まれ、その後、福岡県に移り労働者の町で育つ。京都大学卒業後、1956年松竹京都撮影所に入社。大曽根辰保監督や野村芳太郎監督の下で学ぶ。閉鎖後は大船撮影所に移り山田洋次監督らの助監督などを担当。山田洋次さんと共に「男はつらいよ」第1作の共同脚本も担った。69年の監督デビュー作、山田の原案になる泥臭い人情ドラマ「喜劇 女は度胸」では兄弟の恋人取り違え事件という喜劇ドラマを通じ、庶民の悲しみも描きだした。翌年には「男はつらいよ フーテンの寅」を監督するが、過激な描写が寅さんの雰囲気に合わないとして、シリーズからはずされる。その後、「喜劇・女は男のふるさとヨ」「喜劇・女生きてます」など人情豊かな喜劇を監督した。「喜劇ではなく怒劇」と自ら称するように、社会から虐げられている庶民の怒りを代弁する作品を生涯撮り続けた。75年にフリーとなり、「黒木太郎の愛と冒険」を発表するも不遇が続く。83年には古巣松竹で撮った夏目雅子主演の「時代屋の女房」がヒット。85年の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」でも海外から日本に出稼ぎに来る女性らの姿をユーモラスに描き、話題を集めた。常に庶民への視線を持ち続け、人情喜劇の名手として知られた。2004年の「ニワトリはハダシだ」で芸術選奨文部科学大臣賞。認知症の母親の介護を明るくつづった13年公開の「ペコロスの母に会いに行く」が、キネマ旬報ベスト・テンの1位に選ばれた。これが最後の作品になった。
参照:
・ 森崎東さんが死去 映画監督「時代屋の女房」
・ 「時代屋の女房」「ペコロスの母」 森崎東監督死去
・ 映画監督の森崎東さん死去、92歳 「時代屋の女房」「ペコロスの母」

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