[おくやみ]池田武邦 氏(建築家)98歳 2022年5月15日逝去

[お偲び] 池田武邦 氏(建築家)

池田武邦(いけだ・たけくに)氏
命日: 2022年5月15日 7時24分
(東京都内の病院で)
年齢: 98歳
出身: 神奈川県
肩書: 建築家
備考:葬儀は近親者で施行。
太平洋戦争中に海軍兵学校を卒業。軽巡洋艦「矢矧」に乗り組み、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦。1945年に戦艦「大和」とともに沖縄海上特攻作戦に出撃し、鹿児島県沖で米軍機に撃沈されたが、奇跡的に生還した。終戦後は東京帝国大建築学科を経て設計事務所に勤務。国内初の超高層ビル「霞が関ビル」の設計チーフを務めた。67年に日本設計事務所(現日本設計)を設立した。50歳ごろ、無機的な超高層ビルの建設に疑問を抱くようになり、自然との共存をテーマに掲げた。長崎オランダ村(83年開園)、HTB(ハウステンボス、92年開園)、アクロス福岡(95年開業)などの設計に関わり、全国の限界集落の再生にも無償で取り組んだ。2000~04年にはHTB会長として経営にも参画した。01年、長崎県西海市の大村湾沿いにかやぶき屋根の別荘「邦久庵」を建築。ほぼ九州の木材だけを使った木造2階建てに90歳ごろまで住んだ後、都内の自宅に戻っていた。
お別れの会:
2022年7月19日
京王プラザホテル
参照:
・ 池田武邦氏が死去 建築家
・ 建築家池田武邦さん死去 霞が関ビル、HTB、アクロス福岡など設計
・ 池田武邦氏死去 建築家
・ 故池田武邦氏(建築家)のお別れの会

追悼の言葉があります

  1. ご冥福を心よりお祈りいたします。岩手県指定有形文化財の拙宅に何度もご来訪いただき、ゆっくりとお話しできましたことを懐かしく思い出しております。母に残して下さった「温古知新」の言葉、天国でまた、楽しく母と語らって下さっていることと存じます。長崎のお宅にお伺いする機会がなく、お船に乗せていただく約束も叶わなくなってしまい、残念でなりません。東日本大地震で、ダメージを受けましたが、何とか復興させて、次代に残したいと頑張っております。どうぞ、天国からお力添えをお願いいたします。
    御奥様、ご子息様、どうぞ、くれぐれもお大事になさって下さいませ。


    岩手県指定有形文化財「太田家住宅」(太幸邸)8代目当主
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