[おくやみ]田部井淳子 氏(登山家)77歳 2016年10月20日逝去

[お偲び] 田部井淳子 氏(登山家)

田部井淳子(たべい・じゅんこ)氏
生誕: 1939年9月22日
命日: 2016年10月20日 10時
(埼玉県川越市の病院で)
年齢: 77歳
出身: 福島県
肩書: 登山家
葬儀: 2016年10月21日
備考:葬儀は近親者で施行。
1962年に昭和女子大を卒業後、社会人の山岳会で本格的に登山を始め、谷川岳や日本アルプスなどで冬山や岩登りに情熱を燃やした。69年に「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。70年にネパールのアンナプルナIII峰(7555メートル)に日本女性として初めて登頂。75年、35歳で日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長としてエベレストに挑み、女性で世界初の登頂者となった。当時、山で知り合った夫との間に1児があり、「エベレストママさんの快挙」として一躍、世界中に名を知られた。81年にも女性として初めてシシャパンマ(8027メートル)の登頂に成功。また、85年キリマンジャロ(タンザニア)、87年アコンカグア(アルゼンチン)、88年マッキンリー(米国)、91年ビンソンマシフ(南極)と各大陸の最高峰の頂上を次々と踏み、92年のカルステンツ・ピラミッド(インドネシア)、エルブルース(ロシア)登頂によって女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となった。95年に内閣総理大臣賞を受賞した。その後は世界各国の最高峰登頂を目標に掲げ、毎年のように海外遠征に出かけていた。環境問題にも取り組み、エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿に頼まれて、90年に山岳環境保護団体の日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストを創設して代表に就任した。99年春、24年ぶりにエベレストのベースキャンプに環境調査隊を率いて現地調査を行った。エベレストのごみ問題をテーマに研究を進め、2000年に九州大大学院の修士課程を修了。国連が定めた02年の「国際山岳年」では日本委員会の委員長を務めた。環境庁の自然環境保全審議会や文部省の保健体育審議会の委員も務めた。国内外の山岳環境保護の活動に取り組み、07年には環境保全功労者として環境大臣賞を受賞した。テレビ出演などを通じて山の魅力も広く分かりやすく伝えた。07年に乳がん、12年には腹膜がんと診断されるなど病気と闘いながら、東日本大震災で被災した東北の高校生とともに富士山に登る活動も続けた。5回目の16年7月、元祖7合目(3010メートル)まで登り、頂上に向かう高校生たちを励まし、見送ったのが人生最後の登山となった。著書に「エベレスト・ママさん」「山からの贈り物」「山を楽しむ」など。95年に内閣総理大臣賞を受賞。
お別れの会:
2016年12月18日
昭和女子大学 グリーンホール
主催:「田部井淳子さんを送る会」世話人会
代表:神崎忠男 さん
(日本山岳協会顧問)
参照: ウィキペディア
・ 田部井淳子さん死去 女性初のエベレスト登頂成功
・ 登山家の田部井淳子さん死去 女性初のエベレスト登頂
・ 田部井淳子さん77歳=女性初エベレスト登頂
・ 故田部井淳子さんのお別れの会 登山家
・ 田部井淳子さんのお別れの会、12月18日に昭和女子大

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