[おくやみ]米倉弘昌 氏(住友化学株式会社 元社長、日本経済団体連合会 元会長)81歳 2018年11月16日逝去

[お偲び] 米倉弘昌 氏(住友化学株式会社 元社長、日本経済団体連合会 元会長)

米倉弘昌(よねくら・ひろまさ)氏
命日: 2018年11月16日 11時55分
(千葉県内の病院で)
年齢: 81歳
出身: 兵庫県神戸市
肩書: 住友化学株式会社 元社長、日本経済団体連合会 元会長
備考:葬儀は近親者で施行。
1960年に東京大法学部を卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社。シンガポールでの石油化学コンビナート建設に奔走し、「建国の父」のリー・クアンユー氏とも親交を築くなど化学業界で随一の国際派で知られた。サウジアラビア国営石油会社との石油化学合弁事業もまとめ上げた。2000年6月の社長就任直後から三井化学との統合構想に着手した。企業風土の違いなどで「三井住友化学」が白紙撤回となると、サウジアラビアで総事業費1兆円のラービグ計画を推進。世界で勝てる総合化学メーカーの実現に力を尽くした。09年会長に就任。この年には日米間の経済問題について米国財界側と意見交換する「日米経済協議会」の会長にも就いた。14年から相談役。国際的な経済活動と、故長谷川周重社長らの財界活動を下支えした経験を買われて、御手洗冨士夫会長の後を受けて10年5月から14年6月まで経団連の会長を務めた。同年7月の経団連の政策討議では、環境、介護、交通システムなど先端技術を集めた未来モデル都市づくりを提唱した。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への日本の参加や欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)交渉開始を後押しした。オリンピック・パラリンピックの東京招致の実現にも取り組んだ。15年に旭日大綬章を受章。
お別れの会:
2019年2月20日
帝国ホテル東京「孔雀の間」
参照:
・ 米倉弘昌氏が死去 元住友化学社長、元経団連会長
・ 経団連元会長の米倉弘昌さん死去 住友化学相談役
・ 米倉弘昌氏死去=元経団連会長、81歳
・ 故米倉弘昌氏(元経団連会長、元住友化学社長)のお別れの会

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