[おくやみ]遠山一行 氏(音楽評論家、文化功労者)92歳 2014年12月10日逝去

[お偲び] 遠山一行 氏(音楽評論家、文化功労者)

遠山一行(とおやま・かずゆき)氏
生誕: 1922年7月4日
命日: 2014年12月10日 21時12分
(東京都港区の自宅で)
年齢: 92歳
出身: 東京都
肩書: 音楽評論家、文化功労者
備考:葬儀は近親者のみで執り行われた。
父は日興証券創業者の遠山元一さん。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。51年にパリ国立音楽院に留学。フランス文化への深い造詣を生かし、「ショパン」(毎日芸術賞)や「マチスについての手紙」などを執筆。「実演家より聴衆の視座に立った評論」を訴え、自ら実践した。一方、芸術の大衆化には慎重な姿勢をとり、万人を酔わせるカリスマと化した指揮者のカラヤンを批判した。67年には芸術総合誌「季刊芸術」を文芸評論の江藤淳さん、美術評論の高階秀爾さんとともに創刊。「音楽批評は演奏である」として、従来の解説・啓蒙的批評を脱皮した感性豊かな芸術的な書き方の批評を目指した。音楽の社会的基盤の整備にも力を注いだ。山田耕筰や橋本国彦、武満徹さんの自筆譜など、明治以降の日本の音楽資料を収集保存する日本近代音楽館設立の音頭をとり、2010年の閉館(資料は明治学院大図書館付属日本近代音楽館に寄贈)まで私費を投じて守り続けた。80年からは毎夏、群馬県草津町で「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」を開催、若手音楽家の育成に努めた。83年には民間初の東京文化会館長となり、注目された。パリのロン・ティボーをはじめ、内外の国際コンクールの審査員も務めた。日本音楽コンクール委員長、桐朋学園大学長、東京芸術劇場館長、「文化立国・文化省設立を推進する会」運営委員などの要職を歴任。85年紫綬褒章、93年勲三等旭日中綬章、98年文化功労者。「河上徹太郎私論」「私の音楽手帖」「考える耳考える目」などの著書もある。
しのぶ会:
2015年8月24日
草津音楽の森国際コンサートホール
主催:草津町、公益財団法人関信越音楽協会
実行委員長:石原信雄 さん
(公益財団法人関信越音楽協会 前代表理事、元官房副長官)
参照: ウィキペディア
・ 遠山一行さん死去 音楽評論家・文化功労者
・ 遠山一行さんが死去
・ 遠山一行氏が死去、クラシック評論の先駆者
・ 遠山一行氏をしのぶ会
・ 故遠山一行さんを偲ぶ会、8月24日に

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