[おくやみ]野坂昭如 氏(作家)85歳 2015年12月9日逝去

[お偲び] 野坂昭如 氏(作家)

野坂昭如(のさか・あきゆき)氏
生誕: 1930年10月10日
命日: 2015年12月9日 22時37分
(東京都内の病院で)
年齢: 85歳
出身: 神奈川県鎌倉市
肩書: 作家
葬儀: 2015年12月19日
会場: 青山葬儀所
東京都港区南青山2丁目33−20
備考:後に新潟県副知事になった父相如(すけゆき)、母ヌイの次男として鎌倉に生まれ、間もなく母が亡くなったため、神戸市で貿易会社の支配人を務める親類へ養子に出された。神戸市立第一中在学中の1945年、神戸大空襲で家を焼かれ、養父は死亡。疎開先の福井県では義妹を栄養失調で失う。この時の体験は「火垂るの墓」のモチーフとして生かされていた。47年に上京したが、万引きなどが発覚し、少年院に入れられた。この年実父に引き取られ新潟へ。野坂の姓に戻った。49年新潟大教育学部新発田分校に入学するが3日後に退学した。50年、早稲田大文学部仏文科に入学。古着の行商など、さまざまなアルバイトを経験した。在学中から三木鶏郎音楽事務所、後の「冗談工房」で事務員を務め、やめてからコント執筆を開始した。授業料滞納で大学を除籍。その後、CMソングの作詞を始め「セクシー・ピンク」など多くのヒット曲を生んだ。63年には童謡「おもちゃのチャチャチャ」が日本レコード大賞童謡賞を受賞した。コラムニストとして活躍し、63年「エロ事師たち」で文壇デビューし、三島由紀夫、吉行淳之介らに絶賛された。68年に敗戦と占領から日米親善という時代を生きる男の米国に対する屈折した心理を描く「アメリカひじき」と、終戦直後に栄養失調で亡くなった義妹をモデルに兄の記憶をつづりアニメ化もされた「火垂るの墓」で直木賞を受賞した。「真夜中のマリア」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」などの小説を発表、七五調の歯切れのいい独特の文体で人気を呼び、人気作家となった。また、「焼け跡闇市派」を名乗り、戦災体験に基づく作品を多く手掛けた。歌手としてもデビュー、「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「黒の舟歌」などのヒット曲があり、永六輔、小沢昭一氏と「花の中年御三家リサイタル」を開催した。また、映画への出演やキックボクシングに挑戦するなど多彩な活動で話題を呼んだ。72年、雑誌「面白半分」の編集長だった時、永井荷風作とされる「四畳半襖の下張」を同誌に掲載、わいせつ文書として摘発され、最高裁まで争ったが80年に罰金刑が確定した。83年6月、参院選に二院クラブから立候補して初当選。同年に辞職し、田中角栄元首相の衆院旧新潟3区から立候補。金権政治の打破を訴えたが、次点で落選した。97年に「同心円」で吉川英治文学賞、2002年に「文壇」とそれまでの業績により、泉鏡花文学賞を受賞。09年安吾賞新潟市特別賞を受賞。戦争を忘れてはいけないという思いから、「戦争童話集」の作成に取り組んだ。その他の作品に「骨餓身峠死人葛」「水虫魂」「一九四五・夏・神戸」「自弔の鐘」「死小説」「人称代名詞」、三島由紀夫論の「赫奕たる逆光−私説・三島由紀夫」など。
参照: ウィキペディア
・ 作家の野坂昭如氏が死去 85歳、「火垂るの墓」で直木賞
・ 直木賞作家の野坂昭如さん死去 85歳
・ 野坂昭如さん85歳=「火垂るの墓」で直木賞

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