[おくやみ]高倉健 氏(俳優)83歳 2014年11月10日逝去

[お偲び] 高倉健 氏(俳優)

高倉健(たかくら・けん)氏
生誕: 1931年2月16日
命日: 2014年11月10日 3時49分
(東京都内の病院で)
年齢: 83歳
出身: 福岡県中間市
肩書: 俳優
備考:葬儀は、本人の意思で近親者のみで執り行われた。本名は、小田剛一(おだ・ごういち)。
炭鉱職員の父、元教員の母との間に生まれる。幼少期は病弱だったが、中学時代からボクシングと英語に興味を持ったという。福岡県立東筑高校から明治大学商学部に進学。在学中は相撲部のマネジャーも務めた。1955年、東映に第2期ニューフェースとして入り。同期に今井健二、丘さとみらがいる。翌年、「電光空手打ち」で主演デビュー。現代劇で地方出身の熱血青年という役柄を多数演じた。1963年、東映任侠路線の出発点となる「人生劇場・飛車角」で鶴田浩二と共演、耐えに耐えた末、最後は自ら死地に赴くやくざ役でストイックなイメージを確立した。翌年の「日本侠客伝」以降、「網走番外地」「昭和残侠伝」の各シリーズに並行して主演。東映の看板スターになり、映画スターの地位を確立した。♪義理と人情を秤にかけりゃ…(「昭和残侠伝」)など自ら歌った主題歌もヒットした。当時の全共闘世代が熱く支持するヒーロー像でもあった。1970年に高倉プロを設立。出演映画の問題で東映と意見が合わず、東映も「仁義なき戦い」以降、仁俠映画から実録路線に変更。1976年に東映を退社する。フリー転向後、「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)で仁俠映画のイメージから脱却し、以降幅広い作品に出演。「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)では、毎日映画コンクール男優演技賞のほか、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞も受賞した。このほか、パニックサスペンスの傑作「新幹線大代爆破」(1975年)「冬の華」、(1976年)、「野性の証明」(1978年)、動乱(1980年)、「駅 STATION」「海峡」(1981年)、「南極物語」「居酒屋兆治」(1983年)、「あ・うん」(1989年)など代表作多数。「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)ではモントリオール世界映画祭最優秀男優賞を受賞。「ブラック・レイン」(1989年)、「単騎、千里を走る」(2006年)など海外の作品にも多く出演した。2012年公開の「あなたへ」(降旗康男監督)が遺作となった。1998年紫綬褒章、2006年文化功労者、2013年文化勲章を受章。「健さん」の愛称で親しまれた。
参照: ウィキペディア
・ 俳優の高倉健さんが死去、83歳
・ 高倉健さん死去 83歳「幸福の黄色いハンカチ」
・ 俳優の高倉健さんが死去 83歳 悪性リンパ腫

追悼の言葉があります

  1. 我が青春の群像、健さんが亡くなりました。池袋文芸座地下のオールナイト5本立て興行。銀幕と観客が一体となり拍手と掛け声が飛び交いました。健さんに成りきり、肩で風切る帰り道。全てが懐かしく思い出されます。健さんのあの不器用さが好きでした。
    (献歌) 健さんの任侠映画に義理人情培われ来し人の多かり

    心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
    健さんありがとうございました。


    匿名
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