備考:本名は中川清(なかがわ・きよし)。葬儀は合同葬として施行。葬儀委員長は米朝事務所の田中秀武会長。
1925年、中国・大連生まれ。演芸場に通う父親の影響で子供の頃から落語に興味を持ち、大東文化学院(現・大東文化大学)進学後、寄席研究家の正岡容(いるる)さんに師事した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。故郷で終戦を迎え、1947年に四代目米團治に入門し、三代目米朝を名乗った。「四天王」と呼ばれた六代目笑福亭松鶴さん、五代目桂文枝さん、三代目桂春団治さんと共に上方落語界を復興した。稽古を重ねて「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」「天狗(てんぐ)さばき」「算段の平兵衛」「骨(こつ)つり」「風の神送り」など、数多くのうずもれた古典落語を再演出・復活させた。豊富な学識とたゆまぬ研究に裏打ちされた構成力、柔らかい語り口が特徴。「たちぎれ線香」「百年目」「千両みかん」「愛宕山」など得意な演目は多数。古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした『米朝落語』は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。弟子の育成にも熱心で、月亭可朝さん、故桂枝雀さん、桂ざこばさん、故桂吉朝さんら多くの人気落語家を育てた。落語研究の分野でも、埋もれていたネタの発掘、再演や文献研究などに功績を残した。著書に「落語と私」「上方落語ノート」「米朝ばなし・上方落語地図」「米朝落語全集」(全7巻)など。能、狂言、文楽、歌舞伎など広く上方の芸能文化への造詣も深かった。映画やテレビドラマへの出演、司会やディスクジョッキーなど、本業以外の分野でも活躍した。87年4月に紫綬褒章。96年5月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。落語家として初めて2009年に文化勲章受章。
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