[お偲び] 松添博 氏(長崎被爆体験の語り部)

松添博(まつぞえ・ひろし)
命日: 2014年4月13日 7時14分
年齢: 83歳
肩書: 長崎被爆体験の語り部
葬儀: 2014年4月15日
会場: 大橋メモリードホール
長崎県長崎市大橋町14−16
備考:14歳の時、爆心地から3・8キロの自宅で被爆。腕や腹にやけどを負った。原爆投下から約10日後、自宅近くで振り袖姿の少女2人が火葬される様子を日本画で描いた「悲しき別れ―荼毘(だび)」など、原爆の悲惨さを描いた作品を多く残した。
40歳で日本画を学び、被爆の惨状を伝える紙芝居や絵本「ふりそでの少女」を発表。がんの手術で声帯を失った後も、喉の振動を声に変換する器具を使い、語り部活動を再開していた。
長崎市の田上富久市長は、人工喉頭で松添さんが被爆体験を語るのを聞いてきた。「どうしても語り継がないといけないものがあるという強い意志を感じた」と振り返る。「包み込むような温かさがあって、それが多くの人に伝える力になったのでは」と語る。「残念。冥福をお祈りし、ありがとうございましたと言いたい」と悼んだ。
葬儀では、松添さんが通った旧制瓊浦中の卒業生十数人が校歌を歌った。同校では全校生徒の3分の1が原爆の犠牲となった。卒業生の一人、丸田和男さん(82)は「校歌は一般的には懐かしいものだが、我々にとっては原爆で亡くなった人の鎮魂歌。松添さんにもそういう意味で歌を捧げた」と話した。
参照:
・ 長崎の被爆者・松添博さん死去 「ふりそでの少女」描く
・ 松添博氏が死去 長崎原爆被爆体験の語り部
・ 咽頭がんから語り部復帰 松添博さん(81)

5つの追悼の言葉があります

  1. 松添さんの話を聞けた最後の世代です。
    日本が再び戦争をすることのないよう、
    私たち自身が何ができるのか考えたいと思います。


    匿名
  2. 本日、TBSにて松添さんのドキュメンタリーを見て初めて松添さんのことを知りました。松添さんの頑張りにとても勇気と感動をもらいました。番組の最後で松添さんがすでに亡くなっていることを知りとても悲しくなりました。
    私も長崎出身なので、生きてる間に一度はお会いし松添さんの紙芝居見てみたかったな…とても残念です。松添さんのことは忘れません。松添さんの思いを自分の子供たちに伝えていこうと思いました。松添さんありがとう。
    御冥福をお祈りいたします。


    匿名
  3. さきほどドキュメンタリー番組を見て、まだ涙が止まりません。戦争を経験された方々から教わった事を、戦争を知らない、私達世代を含め日本人として後世に伝えていかなければと思いました。おじいちゃん子だったせいか、心にずしっと来ました。松添博さん、心よりご冥福をお祈り致します。


    匿名
  4. テレビで紙芝居を見て、ご自身も被爆し思い出したくもないような体験をお話し下さった松添さんに本当に頭が上がりません。

    松添さんに会いたいな、お話ししてみたいなって思ったら番組の最後にお亡くなりになったのを知って本当に残念でした。

    私は原爆は知らない世代ですが、自分の子供に話をしたいと思います。

    辛い出来事をお話しして下さってありがとうございました。


    うさうさ。

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