[おくやみ]三遊亭円楽 氏(落語家)72歳 2022年9月30日逝去

[お偲び] 三遊亭円楽 氏(落語家)

三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)氏
命日: 2022年9月30日
年齢: 72歳
出身: 東京都
肩書: 落語家
備考:本名は會泰通(あい・やすみち)。葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
1970年4月、青山学院大学在学中に落語研究会に所属しており、五代目圓楽さんの鞄持ちのアルバイトを始め、付き人を経て正式に入門した。前名の「楽太郎」は大師匠の六代目三遊亭圓生が命名した。両親を説得し、落語界に飛び込むと76年に二つ目に昇進。77年8月28日、六代目三遊亭円窓の後任として「笑点」にレギュラーに大抜擢された。番組では「腹黒」「友達がいないキャラ」を担当し、毒の利いた政治批判や時事ネタで座布団の獲得枚数を増やしていった。頭髪の薄い桂歌丸さんをネタにしてのバ倒合戦は見どころの1つだった。もちろん大の仲良しだったからこそできた丁々発止で、桂歌丸さんの死後最初の放送となった18年7月8日の追悼大喜利では「ジジイ!早すぎるんだよ!」と涙ながらに叫んで故人をしのんだ。78年に真打昇進問題を機に落語協会で分裂騒動が起こると、師匠と共に協会を脱退し、落語三遊協会所属となった。80年に三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現・五代目円楽一門会)に所属。81年3月に真打ちに昇進した。私生活では約5年の交際期間を経て、77年12月21日に女子美出身の早苗さんと結婚。87年11月には長男の會一太郎(現・三遊亭一太郎)を授かった。2010年3月1日に六代目三遊亭円楽を襲名。襲名を発表した際には五代目も襲名披露興行に列座することになっていたが前年10月に他界。襲名では、桂歌丸さんが後見人となり、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会の定席興行として執り行った。全国区の人気を誇るとあって襲名披露興行は同年3月3日の高知県立県民文化ホールを皮切りに12月まで全国80カ所以上で行われ、大盛況だった。また、襲名前から自らプロデュースした落語まつりは札幌、大手町など各地で実施。最後まで落語に生かされ、落語のために生きた。持ち前の人脈と企画力を生かし、07年から「博多・天神まつり」のプロデュースも務めていた。17年からは客員として落語芸術協会に加入が認められ、襲名披露興行をのぞいて、落語協会脱退以来39年ぶりに定席興行に出演を果たした。その後は闘病しながらの仕事が続いたが、21年6月に東京・有楽町よみうりホールで弟子の伊集院光(高座名は三遊亭楽大)と二人会を開催し、ファンを喜ばせた。
参照:
・ 三遊亭円楽さん死去 72歳 1977年から日本テレビ「笑点」大喜利レギュラー
・ 落語家の三遊亭円楽さん死去、72歳 1月脳梗塞発症、8月高座復帰果たすも…軽度の肺炎から容体悪化

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